香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

マニアックな一日



お昼休みにジムへ行かなくなったので、

大抵昼の休み時間にブログを書くようになった。

家でだと15分くらいで書いてしまうのだが、

休み時間が1時間もあるとつい長文になってしまう。


今日は 「きっとこうにちがいない」

という解釈を外しながら仕事をした。

例えば、あの人は、きっと、

こういう意味でこんなことを言っているのだろう、

こういう意図でこんなことをしているはずだ、

という勝手な解釈を手放すのだ。


業務で言えば、

「オートキャド購買の件、支払対応お願い致します」

と佛山の大魔神副総経理からメールが来る。

ああ、あの件か、と大体のことはわかる。

支払い方法は? きっと、電信送金だろう。

契約書は? きっと、総経理が持っているはずだ。

デビットノートを発行する?多分発行する、と思う。

と、勝手にそう解釈して事を進める。


また、人間関係で言えば、

僕がオフィスの空調の温度を下げた後に、

ある人が、オフィスの空調の温度を上げたとする。

多分寒かったんだな。自分は暑いんだけど…。

でも、みんな寒がってたんだな。悪かったな。

と自分を納得させ、仕事を続ける。

本人はそんなこと微塵も思ってないかもしれないのに。


他にも一般的な例としては、

「こう言うと、きっと夫はこう言い返すに違いない。」

「こんなことをすると、母親は絶対に怒るはずだ。」

「あの人はそういう人だ。いくら言っても無駄なの。」

などなど…。


どうでもいいこと、と言われればそれまでなのだが、

今日はこういう小さな解釈を見つけては、

きちっと本人に電話をするなり、直接話すなりして

確認をするようにした。


トラブルを避けるために確認するのではない。

また、本当のことを知りたいから言うのでもない。

全ては設定で、起こっていることに意味はなく、

何から何まで真実ではない。


じゃあ、なぜこういうことをしようと思ったかというと、

無意識に自分で下しているこれらの解釈の裏に、

恐怖を避け、上がってくる罪悪感を、

別の解釈にすり替えて安心しようという、

巧妙なエゴのからくりが隠れていることに

気づいたからだ。


なるべく、目の前の他者とは直接交わらず、

心の中で作り上げた他者を解釈して納得し、

罪悪感をスルーさせたい、という自動反応。


これを以心伝心という言葉で表現する人も多いが、

今のところ、僕たちはまだ宇宙人のように、

テレパシーで会話ができる迄になっていないので、

直接口頭で伝えるしかない。


こうして兄弟と交わる中で、強烈にあがってくる

罪悪感や恐怖を聖霊に持って行ってもらう。


赦しもここまで来るともう、

かなりマニアックだと、自分でも思う。


しかし、以前から何度も言っているのだが、

赦しの角度から、本人と、

ちゃんと言葉でコミュニケーションを取ると、

案外、スムーズに事が運んだり、

意外な答えが返ってきたりする。


僕の場合、

密かに赦して、変わらないかな、変わらないかなと

柱の陰からその人を見ているのは、性に合わない。

まあ、聖霊に訊くのが一番ではあるけれど…。


最近、会社にいる時間、

仕事をしているのか、赦しをしているのか、

よくわからなくなってきた。

赦ししかしてない。

このままいったら、どうなっちゃうんだろう。

ということで、

あさっての夜は、とうとう兄弟てっちゃんち。

今回はどんな珍道中になるのやら…。

のりちゃんちも行くよ!