香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

37.6℃ だぜ!

薬を飲まずにずっと安静にしてはいたが、

あれからも発熱は続き、結局、今日は仕事を休んだ。

行っても一日持たないだろう、と思った。

熱自体は37.6度で、そんなにつらくはないのだが、

寒気と頭痛とのどの痛みがすごい。


医者に診てもらおうと、

いつものようにアドベンティスト病院の

ケネスホー医師を予約しようとしたら、

来週まで休暇を取っていると言う。

かわりにドクター・ラムに診てもらった。

しかし、熱を測り、37.6度であるのを見て、

「熱はありませんね。」だって。

解熱剤も出してもらえなかった。

香港では、白人の体温を基準にしているので、

37.5度くらいまでは平熱らしいのだ。


〝もう自分では何もしない。

 起きてもいない夢の世界で、

 何が起きているように見えても、それは幻想でしかない。

 もうそのまま、神の国にいる自分で存在する。〟


自分で考えるのをやめ、静かに家で寝ていると、

赦しって、この見えていると思い込んでいる幻の映像を、

波に戻してゆく作業なのだな、と、ふと思った。

量子物理学では、観測者が観測をした瞬間に、

あらゆる方向に向いていた電子の方向が決まり、

ある結果(映像)が出現する、という。


AとBの箱に手袋を片方づつ入れ、

遠く離れた場所で誰かがAの箱を開けて見た瞬間に、

AとBのどちらの箱に左右どちらの手袋が入っているかが

決まるというのだ。


だが、アインシュタインは、

どちらの手袋がどちらの箱に入っているかは、

手袋を箱に入れたときに、すでに決まっていると主張する。


そこで大論争になるのだが、

最後は量子物理学の考えが正しかったことが、

実験で証明された。

(※実験をテレビでやっていたが、よく覚えていない)


ということは、

僕たちの眼前に広がっている映像や起きている出来事は、

観測されているそこだけで起きているのであって、

それ以外の世界はない、正確には波になっている、

ということになる。


今日、僕が家で寝込んでいるとき、

僕にとっての世界はここで観測されている寝室しかなく、

会社や自分以外の他者、というものは存在していない。


ただ、見ていないときでも世界はある、

と意識が思いこんでいるので、存在してしまうだけだ。


〝会社休んだら、あの仕事はどうなるだろう。〟

〝両親は日本で今頃どうしているかな。〟

〝明日、あの人に会うの嫌だな。〟


こんなとき、目の前にある景色に意識を戻せばいい。

なぜなら、そこにしか世界は存在していないのだから。

といっても、この世界も幻想なのだが…。


故に、世界はどうとでもなる、と言えばそうかもしれない。

波である素粒子の方向を決定付け、

ある結果を作りだすのは、自己の意識だからだ。


しかーし! そうは問屋がおろさない。

量子の動きは確率論であり、従来の物理学のように、

こうやれば必ずこうなる、というわけではないからだ。

そこには無限のパターンがあり、

うまくいくときもあれば、いかないときもある。

自分ではコントロールできないのだ。


で、赦しである。

これらの映像を全て赦しによって〝起きていない〟

と否定してゆくことで、素粒子が並の状態に戻され、

映像を消滅させてゆくことができるのだ。


すると、自分が今、現前の張りぼての世界の中だけで

暮らしており、そこには、世界も地球も宇宙もないことが

自覚されてくるのだ。


こんな世界はいらない、信じない、と全部明け渡す。

そこから先は、結局、聖霊の仕事なのだ。


見えている映像以外にも世界はある、

と思わせるエゴのトリックはもういらない。


そんなことを考えながら寝込んでいるうち、

夕方には熱も退き、食欲も出てきた。


しかし、

診察料970香港ドル(16,500円)の領収証

をみたとき、頭がくらくらしてきて、

再度ベッドにもぐりこんだ僕であった。