香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ほんとはわたしがやってまんねん


聖霊あにきいぃぃぃぃーーーっ! は、

自動的にやってくる思考を自分のものとする前に

明け渡してゆけるツールとして、

僕にはすごく合っていたみたいだ。

でも、あまりやりすぎると、また熱が出てきそうなので、

ある程度やったら普通に〝あにきい〟

くらいにしておこう。


今日は土曜日。外は雨が降っている。

一日、家のソファの上で舞ったりと過ごした。

昨日もまた微熱。

もう慣れたけど、波動の急激な変動で、

身体がぎしぎし言っているようだ。


ふと、

このまま会社にいていいのかな。

会社って、自分が本当に居たい場所なのかな、

という考えが起こる。


社長、部長、課長、ヒラ…。

多くの役職や部門に分けられ、

みんなで仕事を貫徹するという目的のもと、

それぞれの立場から主張し合う場所。

差を基本に活動し、複雑化と分離を繰り返す。

そして、ある年齢になると、リタイアとなる。

アパートの家賃、給料、ボーナス、年齢、生活…、

もちろん、エゴの思考からすれば、

このままでいるべきなのだろう。


まあ、この違和感の理由を頭で追及してゆけば、

上記のような説明になるのだろう。

でも、

こういう観点からのもやもやではないような気がする。

もっと深いところからの違うぞ、という感じ。

また、いまだぞ、という理由のない揺さぶり。


これまでは、

自分がどこで、どんな設定のもとにいても、

それは幻想であり、ただ赦すだけだ、と思っていたし、

実際、赦しをすすめることで、

自分が投影している会社もどんどん変化し、

設定の削除が起こって行くのを体験したりしていた。


それでも、なあんか最近、しっくりこない。

特に、一時帰国から戻ってからは、

〝なんで自分は、ここ(会社)にいるのだろう。

 なんで、ここでオロオロ劇場しているのだろう。〟

という感覚が強くなってきていた。


僕はこれまで、

100%聖霊への信頼が起きない限り、

今の仕事を辞めるべきではない、と考えていたし、

〝そのとき〟が来れば、自然に導きは起こるはず、

とも思っていた。

でも、ここのところ、どうにも気持ち悪い。


聖霊兄貴いいぃぃーーっ!


強く叫び、この想いを聖霊にすべて引き渡す。

聖霊は失敗しないので、完璧に僕を導く。



聖霊兄貴いいーっ!をやっていたとき、

ちょうど洗面所で髭を剃っていたのだが、

髭剃り跡を鏡で確認しながら、

「こんなに頼ってる聖霊も本当は意識の中の一部で、

 方便であり、幻想なんだよなあ。」と、呟いた瞬間、

鏡の中から(感覚的には、鏡に映る僕の背後から…)、

〝ほんとうはわたしがやってまんねん〟

と、神がじゃじゃーん、と出てきて、びっくり!

あとは涙がわわわーとあふれてきた。

なぜかそのままシャワーを浴びながら号泣…!


〝頼れる兄貴は神だった!〟

沖縄リトリでも同じようにハレ師匠の前で号泣したが、

今回は、あの時よりも更に確信的な感覚でやってきた。


会社に対するもやもやは、もやもやとして、

神にすべてのマネジメントを丸投げすることにする。


会社は離れても離れなくてもどちらでもいい。

もともとそれは起こっていないし、

どう進んでも差しだされるものはやってくる。

だったら、理由は要らない。自分の直感で生きていい。


エゴの自分が〝痛手を負う〟ことも恐れる必要もない。

だって、自分は神の子で、

そっちこそが本当の自分なのだから。