赤い画用紙を買ってきて、カバーをつけた。
カバーの色を統一して本棚に並べると、
インテリアにもなり、とても美しい。
本の題名は下のほうに記しておく。
以前、ハノイに留学していたときに、
フランスのテレビ局〝MONTE5〟の
インテリア番組でやっていたのを見て覚えた。
日本から届いた本をやっと読み始めた。
海外配送は送料がかかるので、
えいやーっ、でまとめ買いをした。
田辺氏推薦の『霊性の開発』も購入したよ!
そういえば、読書してないなあ。
まずは一番読みやすい大和田菜穂さんの本から。
昼休みと、帰りの電車の中で、半分以上読めた。
感想はというと、すごくおもしろい。
分かる、というより、入る。
そして、この本、僕にとってはすごかった。
というのも、
帰りの電車の中でこの本を読んでいたとき、
突然「おお、そういうことかあぁーっ!」
と、バッコーンッ、と来たのだ。
一瞬、空間が揺らいだ。
一貫して同じメッセージしか書いていないので、
ああ、またこれか、という感じで、
何も考えず読み進めていたのだが、
ふと顔を上げ、車内の乗客の様子を眺めた瞬間、
ああ、こーれかあ、これを言ってるのかあぁー、
と、ばっきーん、と電流が走ったのだ。
昨日、自分と空間の境界がなくなり、
絵のように全てが繋がっているような感覚になった、
とお伝えしたが、なんか、その延長線で、
あれ、これって、全体で表現してる?
空間ぜんぶ繋がってる?
全体でひとつ…?
自分も他者も一者の中で表れているだけ。
ひょっとして、これが一者の意識なのか。
一者の意識って〝ここ〟にあったんだ。
自分が見ているこの空間こそが
一者の意識そのものだった。
いま、ここ、そのまんま〝ここ〟じゃん。
えっ、ええっ、ええええええーっ!!
赦し、開け渡し、罪悪感を消去してゆくと、
一者の意識に戻り、その後神の一歩が訪れる、
という、その一者の意識が、
すでに、ここに、あったなんて…。
言葉で書くのはこれが限界なのだが、
本当にここに在り、そこでは誰も何もしていない。
きっとこの本は、
理解しながら読むものではないのだろう。
お経のように、何度も同じフレーズを繰り返すうちに、
自分の中の、全てを理解している何かが、
ピコンと反応する。そんな読み方をする本なのだろう。
しかし、
地下鉄の車内で、バッコーン、となったからと言って、
すでに大和田菜穂さん状態か、と言うとそうではなく、
今感じているのは、ある種の平安と静かな悦びだけだ。
なぜなら、
〝ここ〟がゴールではないし、
聖霊兄貴はまだその先へ進ませようとしている。