香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

後ろ側のはなし



全ては背後でしか起こっていないことを

本格的に体感し始めている。


連休で暇だったので、1回整理しておこうと、

全く絵心がないにもかかわらず、

どんぶり鉢やコップを駆使して、図を描いてみた。


AさんとBさんの背後にある神や聖霊は、

図式上二つ書かれているが、同じひとつのものである。

Aさんは、幻想の空間上では、Bさんと向かい合い、

話をしたり、仕事をしたり、食事をしたりしている。

もちろん全てのコミュニケーションは、

前向きの矢印で行なわれている。


例えば、AさんがBさんから「アホ!ボケ!カス!」

と言われたとする。普通なら「何だと!バカ!」と、

前方に見ているBさんに言い返すところだが、

そこで、これは嘘だと気付き、一歩踏みとどまって、

言われた時に出て来たびゅんびゅん(知覚の歪み)を、

決断の主体へと戻し、これは全部ウソなのだ、と、

聖霊兄貴へ明け渡すと、兄貴はその歪みを修正し、

正常な神の愛(ハートの想念)へと変換させる。


そして、修正されたはハートの想念は、

相手(Bさん)を通して、光となり、立ち顕われる。

それは、肉体の目では、Bさんが投影されている

幻想スクリーンの奥からこちらへ向かって放たれる。


要するに、Aさんが赦せば、背後のB’さんを通じて、

幻想のBさんの背後から神の愛が顕われる。

これが〝目の前の全てに愛を感じる〟の正体である。

決して目の前の物体(肉体)に愛を感じるのではない。

相手の聖霊を通して相手を観る、

というのも、また、これと同じ原理である。


ぜーんぶ背後の世界(見えない世界)で行われており、

前方の仮想空間に映る起こった後の結果を見てるだけ。

これが〝ここ〟ではなにも起こっていない、

の真の意味である。


また、

BさんがAさんの背後に存在しているということは、

Aさんの内部空間に存在しているということなので、

ふたつは同じもの、つまりBさんとAさんはひとつだ、

ということになる。


ただ、エゴが作り上げた仮想空間の中では、

前と後ろが、映写機のレンズのように反転している為、

後方にいるBさんを前方に観てしまっているので、

知覚も顛倒してしまっている。

これが、後ろの正面、の真相である。


こうしてみてみると、

普段僕たちが生活している前方の幻想空間は、

背後の世界に比べれば、点ほどの矮小な空間と言える。


自己と他者は背後で繋がっており、そういう意味で、

背後には他者が見ている空間が広がっているのだ。


AさんはBさんを目の前に見えているけれど、

本当は背後のB´を正面に幻想としてみている。

自分の背後にはBさんが見ている風景が広がっている。

これが、他者は自分だ、の原理である。


そして、兄弟の心の中の聖霊を通して彼を観る、

というのも、背後同士で交流するということを意味する。

肉体の彼が、前方の矮小空間で何をしようと関係はない。

前方に見えている全ての肉体は、

変てこりんな着ぐるみを着た、不思議生物に過ぎない。

それ自体に本当の生命はない。


全てを明け渡し、在ると思っている罪悪感を

取消してゆけば、最後は投影自体が起きなくなり、

僕たちは神へと帰ってゆく。


で、僕は、もう、

今回限りで〝娑婆におさらば〟しようと考えている。


あしたに、つづく…。