いま、日本映画専門チャンネルで、
1975年にNHKで放送された『なぞの転校生』
というSF番組が再放送されていて、
毎日、このドラマを見るのが、今、僕にとっての、
唯一にして最大の楽しみになっている。
僕はこのドラマをリアルタイムでは見ていないのだが、
〝NHK少年ドラマシリーズ〟は大好きで、
特に1979年放送の『七瀬ふたたび』が好きだった。
七瀬役を演じた多岐川裕美を見たときは、
「この世にこんなきれいな人がいたのか。」と、
当時まだ小学生だった僕には大変な衝撃だった。
で、この『なぞの転校生』。
まだ、5話までしか見ていないのだけれど、
ある中学校に、核戦争で滅びた星からやってきた
超能力を持った宇宙人の少年が転校してきて、
様々な騒ぎを巻き起こす、みたいな話で、
セットもしょぼいし、カメラワークもいまいち。
しかし、中学生の役者さんたちが光っている。
本当に謎めいた異星人っぽい感じがよく出ているし、
『七瀬ふたたび』等の少年ドラマシリーズに共通する
NHKドラマ特有の暗く隠微な雰囲気が、
SFと相まって、不思議な世界観を醸し出している。
そして、このドラマの中で面白いな、と思ったのが、
転校生で異星人の典夫が、核を使っちゃいけない、
と、同級生たちに核根絶を力説している点だ。
1975年当時で、すでに核に注目していたなんてすごい。
昔、アンフィニで、
「わたしは前世で、核のボタンを押し、惑星を一個、
丸ごと破壊させたことがあるんです。」
と、笑いながら言っていた人がいたが、
そのとき、なんか、すごい違和感を覚えた。
核のボタンを押したという事実に対してではなく、
核のボタンを押す元となる〝ラスボス〟を、
なんでいま統合(当時のやり方では)しようとせず、
自慢のように言えるのか、疑問に思ったのである。
以前の記事でも書いたが、
中性子や陽子は量子の法則に従う。
中性子は意識で、陽子が愛である(違ったかな?)
と、波動の法則の足立育郎氏は言っていたが、
素粒子を破壊させてエネルギーを得るということは、
意識(心)と愛(ハート)の破壊を意味するのではないか。
〝眼球の裏〟に見ている世界は幻想であり、
本当の愛は決して破壊されはしないけれど、
愛を破壊したい、という考え自体が、
究極の虚無であり、究極のエゴである。
しかし、僕たちが幻想の一切を父に返してゆくことで、
破壊ではなく、削除というカタチで、安全で平和に、
この幻想の世界を終わらせてゆくこともできるのだ。
愛(ハート)と、実相と、神しか選択しない
という決意だけでいい。