香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

うしろの兄貴


↑朝の魚屋さん

いま広州からの帰りの列車の中でこれを書いている。

今日は、半日、広州で行われた、日本人対象の、

日本人が知っておきたい中国税務資金調達の注意点

というセミナーに参加していた。

内容は硬いが、〝いま〟を思い切り楽しんだ。


というわけで、今週は、珠海、広州、佛山、

と、日帰り弾丸出張が続いている。

あと2週間で休暇に入るので、いまはとても忙しい。

しかし、なぜか移動の感覚はなく、周囲だけが、

くるくると、様々に変化していっているという感じだ。


昨日は一日、焦げ付いた売掛金を回収するため、

わざわざ珠海にある相手方の工場まで出向き、

財務部長と総経理相手に取り立ての交渉を行った。

WIFIがないため、会議中もメールが取りこめない。

心の中でエゴの呟きが始まる。

「家に帰るまでメールをチェックできないなんて…。

「帰ったら、まずあの件に返事を書いて…。」

「12月の財務諸表も送付ておかなば。」

「資金繰表のリバイスは船の中でやってしまおう。」

WIFIがなくてメールが使えない、

たったこれだけのことで、

わんさかといくらでも呟ける。


まず、どっこらしょ、と、今に意識を戻す。

しばらく、自然発生的なこの呟きを観察する。

それから、今、眼前にある風景だけに集中する。

自分が眼差しを向けているこの空間でしか、

世界は起きていない、としっかり認識する。


向かいの席で話している先方の財務部長から、

光の粒子が飛び始め、空間が平面的に見えだした。

決断の主体から、大元締めに向かって、

〝僕は無辜の神の子である。

 だから愛だけを選ぶ。幻想には興味はない。〟

と宣言し、愛(聖霊)だけを通して、

相手や物事に繋がってゆく。


僕の場合、今に在ることが、エゴをちゃんと認識し、

同時に聖霊を感じるための重要な儀式になっている。

でないと、エゴに反応していることに気づけないから。


聖霊の見え方では、

エゴを選択している他者を〝愛を求める声〟として観る、

とコースでは教えているが、僕にはあまりピンとこない。

だって、実際に理不尽なことを言っていたり、

横暴な言動を取っていたり、

狡猾な振舞いをしている相手を前に

「これは愛を求める声なんだ。」とやっても、

言葉が偉大すぎてその瞬間の自分には響かない。

目の前にいる相手と、愛が、直結しないのだ。

こんなとき、僕は単純に、目の前の相手を、

〝エゴに操られている人〟として認識する。

ねずみ花火のように、ぶるんぶるん回転しながら

操られまくってる人に遭遇すると、

「うわ、ぶるんぶるんやな、この人。」と思ったりする。


これまでは、そんな相手を赦しながらも、うっすらと、

相手のエゴに取り込まれている感があったが、

昨日書いた〝ふぁちゃん車手配騒動〟の後、

なぜか〝兄貴の愛で包み込む〟ような感覚が湧き上がり、

その状態から相手を観ることができるようになった。

エゴが自動的に出てきても反応できない。

もう完全に別物、として認識できるようになってきた。


たった一回でいい。

ある出来事に対して、完全に愛で返事を返せると、

ガチン、と聖霊兄貴の方へメーターが振れる。

そして、一瞬のうちに聖霊兄貴モードに変化する。


それで今日は、道を歩いていても、セミナーの間も、

掛かってきた電話の相手に対しても、

ずっと、包み込むような愛だけを返し続けていた。


明日の自分はどうなっているやら…。