香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄弟との時間


↑兄弟てっちゃん最新画像!

瞑想を終え、京都から東京へ向かった。

今回も兄弟てっちゃんちにお世話になった。

昼過ぎには東京に着き、てっちゃんにメールをすれば、

夕方まで仕事だと言う。時間があるので、

新宿かどこかで髪を切ろうと思っていたら、

聖霊が直接てっちゃんの家がある駅まで行けと言う。

あんなところにヘアサロンもないし、

ひなびた駅前で何時間も時間を潰すのもなあ、

と躊躇していたが、兄貴は大丈夫だから行けと言う。

行ってみると、何でこんなところに、という場所に

ヘアサロンがあり、かなり混んでいたが、

予約なしでやってもらうことができた。


裾の広がったデニムを穿いた、西城秀樹そっくりな

スタイリストさんにやってもらう。

時間もたっぷりあるので、ブリーチを二回してもらい、

かなり金髪っぽい髪に染めてもらった。

ちょうど終わった頃にてっちゃんが迎えに来てくれた。

今回もいつもの3人リトリ。

僕はヴィッパサナ―で体験したことを話し、

エゴは忌み嫌うものではなく、愛で溶かすものだった

ということを互いの体験を交えながらシェアし合った。

その中で、投影の前には必ず肉体に感覚が顕れる、

という兄弟てっちゃんのシェアが僕には響いた。


例えば、今日、初めての得意先の人に会うとする。

その人を見た瞬間、なんか自分とは異なる波長の、

居心地の悪さを感じ、案の定、相手との会話の中で、

険悪な雰囲気になってしまったとする。

しかし、この結果の元は、

すでにその人に会おうと決めたその以前の時点で、

体の部位のどこかに感覚として顕れているというのだ。


だが、どんな投影の元がどの部位に顕れているかなど、

自分には分かるはずもないので、

それをヴィッパサナ―によって、

あらゆる部位をランダムに観察することで、

起こるべき投影を、前もって消去してしまうのだ。


この原理はヴィッパサナ―を終えたばかりの僕には、

とてもよく理解できた。

だから、朝夕一時間づつの観察は、不必要な投影を

消去する上でとても大切な時間なのだな、と思った。

こうして、兄弟てっちゃんちに滞在中、

時に温泉に浸かりながら、

時にさおちゃんの料理に舌鼓を打ちながら、

また、時に酒を酌み交わし、

時にイタリアンレストランで食事をしながら、

大いに語り合い、貴重な時間を過ごした。


兄弟てっちゃんと〝裸の王様〟という温泉に行った。

この日は日曜で駐車場には長い車の列ができていた。

僕たちの車はぎりぎり駐車場の敷地内に入れたが、

後ろの車は道の入り口に止まったままだった。

道は2車線で、この車が動かないと、

後続の車が直進できない。

後続に迷惑なので、そこで待たずに直進するよう

警備員が注意するが、粘れば駐車場内に入れる、

という思惑のあるこの車の運転手は、頑として動かない。

その時、助手席に乗っていた女性が見えた。

彼女は夫らしい運転席の男性に、

なにやらきつい口調で指示している。

逆にスマホで警備員の写真を取ったりもしていた。


自分さえよければ、という卑しさに満ちた一重の目や、

剣の立った邪悪な顔つき(という風に僕には見えている)

を目の当たりにし、

僕の中に爆発的な怒りと不快感が込み上げてきた。


うわっ、これはきっついなあ、と思いながらも、

決してそのエゴを打ち消そうとせず、

愛と慈しみで観察し続ける。

うわあ、たまらん。このおばさんの顔…。

でも、なんとか、背後の兄貴に委ねきる。


後で車を降りたとき、兄弟てっちゃんから、

「ずっと黙って目を閉じているから、ああやってるな、

 と思いながら俺も見守ってたよ。」

と言われた。


このように、

聖霊とともにある、イコール、全てが愛、

ということではない。

むしろもっと直接的になってくるのかも…。

手放すべきレッスンは常にやってくる。

しかし、それがすでに自分のものではない、

ということが分かっている分、手放しやすい。

兄弟てっちゃん、奥様のさおちゃん。

今回も本当に本当にお世話になりました。

癒しとくつろぎの昭和ハウス、

いつ行っても最高です。

あっ、それから、

滞在中、鼻水の止まらない日がありましたが、

あれは、寒暖差アレルギーであったことが

判明しました。花粉症じゃなかった。