香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

僕の消失


↑ ドリアンまつりだよ!

昨日今日と、中国広東省にある佛山工場に行っていた。

今回は日本からやってきた管理部長も一緒である。

出張の目的は、営業の女性(台湾人/40歳/独身)に

雇用契約解除を通知すること。要するに解雇通告だ。

通知自体は本社から来た管理部長が行ない、

僕は給与計算やらの事後処理について答える。


こういうことは、仕事柄慣れているとはいえ、

何度やっても嫌なものである。

それに、この台湾人の彼女は、

二年前に深圳工場を閉鎖した際、人事部長として、

何百人もの従業員の解雇を仕切った人物でもある。

佛山工場に移ってからは、本人のたっての希望で

営業をして貰っていたが、営業成績が振るわず、

契約解除、という結果になってしまった。


電圧の足りていない会議室の青白い蛍光灯の下、

彼女を前に管理部長が通知を行なった。

本人もすでに心の準備をしていたようで、

通告はすんなり受け入れられた。

補償金などはなし。


今後、杭州にいるボーイフレンドのところに

しばらく身を寄せ、その後アモイで仕事を探すという。


日本語が分からない彼女の隣で、管理部長が、

「先月本社にとても優秀な女性が入ったんですよ。」

と言ってきた。 そう言えば、

この台湾人の彼女が入社してきた数年前にも、

彼女を採用した別の管理部長が

同じセリフを言っていたことを思い出した。


現われては消え、また、現われては消え、

一者の夢の世界は、配役を入れ替えながら、

延々と続いてゆく。  ああ、アニッチャ!


もういいや、と、

そっくりそのまま、出てくるものを兄貴に委ねる。

ヴィパッサナー瞑想での体験以降、

兄貴が常に決断の主体の位置にいてくれるお蔭で、

明け渡しがとても敏速になった。


↑ドリアンまんじゅう

香港に戻る船の中で、ぼうっとしていると、

ふと、ある感慨に襲われた。


彼女に解雇通告をしていたあの僕は、

今、ここにいる僕だろうか。

今朝、工場で帳票類にサインをしていたあの僕は、

今、ここにいる僕だろうか。

さっきフェリー乗り場でコーヒーを飲んでいた僕は、

今、ここにいる僕だろうか。

二年前、大いなる赦しの日にいたあの僕は、

今、ここにいる僕だ、と本当に言えるだろうか。


ストーリーとしての記憶はある。

しかし、概念を取っ払ってようく観察してみると、

今この瞬間にいる自分の中に、

あれは確かに僕だと断言できる証拠を

どこにも見つけられない。


ということは、

僕なんてどこにも存在してないということになる。

ただ、いま、いま、いま、の瞬間に表れている

僕のようにみえるものが、ずっーと顕れては消え、

顕れては消えて行っているだけだ。

そして次々とストーリの僕、つまり、僕じゃないもの

に変わってゆく。


例えば、

いま、誰々とあのことについて話している、とか、

いま、スマホであの人からのメールを見ている、とか、

いま、夕食の材料をAEONで買っている、とか、

そういうストーリーとしての概念を全て取り払って

空間を見てみると、誰々さんも、あのことも、

スマホも、メールの相手も、夕食も、AEONも、

全て意味のないただの〝あるもの〟に化してしまう。

そして、このただの〝あるもの〟を見ている自分も

この〝あるもの〟に含まれてしまうとき、

どこにも自分を見つけられなくなってしまうのだ。


なんか、へんなやり方だけど、たとえ、いまここで、

どんなにすったもんだやっていたとしても、

自分というものは確実に無い、ということが、

妙に納得できた今回の出張だった。