香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ふたつの自己


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今日は2年前の夏にクローズした、

深圳工場の清算状況確認のため、

久々に深圳のロンガン地区へ行って来た。

地元の会計士さんと喫茶店で待ち合わせ、

いろいろ話をした。

コネを使って関係各所にリベートを支払えば、

もっと早く清算手続きを完了させられるらしいが、

コンプライアンス上、やはりそれはできない。

やはり、

この作業から解放されるのはまだまだ先のようだ。

↓↓ 深圳工場閉鎖の記事はこちら
大いなる赦しの日 - 香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

リンクを貼ったついでに当時の記事を読み返してみる。

大いなる赦しの日の出来事が詳細につづられている。

あのときは、あのときで、懸命に赦していたんだね。

一生懸命、兄貴に明け渡し続けている自分がいる。

エライ!

人員整理の日からもう1年半も経つんだあ。

あの日の自分はもうここにはいないけれど、

なんか、感無量、である。

最近、

何の概念や記憶を用いることなく、

ただぼうっと、今、ここに在りながら、

眼前の人や風景を眺めていると、

毎回なぜか、わけもなく泣きそうになる。


ぐーっと今この瞬間にフォーカスしてゆくと、

あるところで、ふと何かの琴線に触れる瞬間が訪れ、

そこから、ある種の感動があふれだし、

わわわーと涙腺が緩んでゆくのだ。


それにしても、最近ちょっと泣きすぎだ。

自分はこんなにも涙もろい男だったのか、と、

我ながら、ちょっと引く。

おばあちゃんが死んだ時にも泣かなかったのに…。


これはきっと、

今の実在性を体感しているからだと思う。

神から創造された儘の自分は、いま、ここに、いる。


今にいて、エゴの想念を聖霊兄貴に委ねてゆく。

自分と自分以外、という、ふたつの自分が見えてくる。


全ての関係性は一者でやっている夢のお芝居であり、

自分も他者もどこにも存在せず、

10分前の他者や自分は既に存在しないと気づき出すと、

誰々さんと、どこどこで、素晴らしい時を過ごした、

という経験も、

仕事で大失敗をして悲惨な目にあった、

という経験も、

どちらも同じ、ただの経験として捉えられてくる。


僕は大勢の人の前で何かを発表したり、

専門的な意見を述べるのがすごく苦手なのだが、

これがただ、一者の自分が、

ふたつの自分ごっこをやっているという言うだけで、

そのどちらも存在していない、

ということが腑に落ちてくると、

会議の席でトンチンカンなことを言って

〝この人大丈夫?〟と思われても、

能力がないと思われても、

一向に差し支えないような気になってくる。

だって、ここには自分しかいないんだもん。


こうして、ふたつの自分でいることを放棄したとき、

それをやっていた〝ひとつの自分〟さえもなかった、

ということに気づく。


そして、最後に僕たちは、

神に創られたままの神の子へと返ってゆくのだ。