↑1975年放送『なぞの転校生』のヒロイン伊豆田依子。
昨日は春分の日だった。
おまけに日曜日だったので、
家で、静かに、自己を聖霊兄貴に委ねて過ごそうと、
ソファの上に胡坐をかき、瞑想をして過ごした。
13時30分が通過点ということなので、
11時ごろから始め、14時くらいまで座っていた。
まずは、呼吸法を使ったアーナパーナを行ない、
それから、ヴィパッサナー瞑想に入った。
いつものように、思考のカスがわんさか出てきて、
そのたびに、大放出をする。
その中でも、投影寸前のもやもやが出て来た時は、
即座に決断の主体へと戻し、兄貴へと明け渡す。
次に〝今、ここに在ること〟だけに意識を集中する。
何も考えず、ただぼうっと、今の空間に全てを開く。
そして、最後には、聖霊兄貴に委ね切って、
残りの数時間を過ごした。
普段は、仕事やら生活やらでバタバタしていて、
どことなく〝赦しが上滑った〟状態だったので、
今日は、春分の日にかこつけて、
静かに、丁寧に、赦し、明け渡し、委ねて行き、
神が創造したままの自分(ハート)を感じていった。
聖霊兄貴に委ねたまま、ぼーっとしていると、
次第に、自分と思い込んでいたもの、が消失してゆく。
さらに、
「もうこんなのを使って、ここにいたくないんです。」
と、全部丸投げで、自分のようなものを、兄貴に渡す。
こんな感じで、自分に向かいまくって過ごしていると、
自分が見ているこの幻想の宇宙空間って、
肉体を投影したものなんだなあ、ということに気づく。
肉体と宇宙空間は、ある意味、同じものだったのだ。
そして、どちらも、夢だ。
↑いま、日本映画専門チャンネルで再放送されていて、
懲りずにもう一度見ている。この世界感、好き!
いつものように、意識を今に収斂させていたとき、
空間に粒子が飛び、映像がぼやけて見えた。
ああ、自分はいま、次元の芯を通り、
別のタイムラインへ移行しているのだな、と思った。
その瞬間、今よりももっと物理的に豊かで自由な、
タイムラインへ移行しよう、という考えが出て来た。
今に開いているこの瞬間なら、それは可能に思えた。
じゃあ、どんな現実へ移行しようか、と考えた瞬間、
何かから離れた感覚に襲われた。
即座に〝自分…のようなもの〟を手放す。
そして、父のほうを選択し直す。
あっぶねー。
『なぞの転校生』風に言うならば、
もう少しで〝次元ジプシー〟になるところだった。