↑ 今年3月にマレーシアで撮影された4人の騎士雲。
雲って地球の意識を象徴しているという。
今日の夕方、
ラッシュアワーの地下鉄のホームですごいのを見た。
僕の近くでスマホを手にLINEをやっていた女性が、
突然、隣にいた背の高いスーツ姿の男性に向かって、
大声で罵りだしたのだ。
それはもう、ものすごい剣幕で、
僕を含め、周囲の人達もぎょっとして彼女を見ていた。
もちろん、罵っている女性も、罵られている男性も、
知らない者同士である。
聞いていると、どうやら自分のLINEのやり取りを、
隣りの男性が盗み見ていたと言って怒っているらしい。
その男性はすごく背が高かったから、
まあ、覗こうと思えば、覗ける位置にはある。
やがて、電車がやってきた。
指を差して罵りながらその女性は行ってしまったが、
残された男性は、怒りを通り越して茫然自失、
ただ、ホームに立ちつくしていた。
まあ、
これだけ分かりやすいイチャモンも、今どき珍しい。
見られるのが嫌なら公共の場でスマホなんかすんなよ。
ていうか、お前のLINEになんか興味ねえし、
と、ここは思う存分エゴってみたいところではあるが、
このとき思ったのが、ああ、これって、肉体を使い、
直接相手に表現しているかどうかの違いだけで、
心の中では全員、彼女と全く同じ事をやっている、
いや、心の中ではもっとすごい事をやっている、
ということである。
みんなが心の中だけで密かに実行している復讐劇を、
彼女はストレートに表現しただけのことである。
要するに、彼女はわたしだ。
理不尽な要求をする人、わがままを言って困らせる人、
怒りっぽい人、偏屈な人、頑固な人、攻撃する人、
こういう人たちは、普段僕たちが心の中で、
密かに行なっているイチャモン劇場を、
素直に表現しているだけなのだ、とも言える。
罵られた男性も、家に帰って落ち着いたころに、
沸々とした怒りにさいなまれ、心の中であの女性を、
なぶり殺しの刑に処しているかもしれない。
他の兄弟に対し、又、ある赦しがたい出来事に対して、
同じように言い知れない殺意がわいてきたとしても、
そして、
思わずその殺意が表面にほとばしり出たとしても、
エゴから来る無意識に埋没すればそれは破壊となり、
やってる最中に、たとえ0.0001秒でも兄貴を選べれば、
削除のために現われた、赦しのための表現となる。
例えば、
駅の自動改札で、自分の前の人がもたもたしていた。
仕事でテンパっているときに話しかけられた。
自分の話を遮られた。
飛行機の座席で隣の人が肘掛けに肘を載せている。
最近太ったね、と言われた。
日常生活で誰でも普通に起こり得る設定であるが、
心の中は、ムカッ、どころではない。
〝死ねばいい〟って本気で思っている。
この殺意はある意味、
瞬発的であるか、持続的であるか、の違いこそあれ、
わが子を殺された親の犯人に対する憎しみにも相当する。
毎日毎日、毎瞬毎瞬、
この自分が兄弟たちに対して殺意を抱いていることを、
今日出会った兄弟は教えてくれた。
しかし、これは絶望ではない。
やってる最中、または、想いが湧いてきた最中に、
あっ、自分はいま、こんな選択をしている、と、
一瞬でもいいから認識することが重要である。
これは修正され、取り消されるために出てきている、
と、一瞬でいいから気づく。
もし、止められなければ、その後は罵り続けてもいいから、
〝いま〟やってる〝間違った思い込み〟を1秒でもいい、
ちゃんと認識することだ。
隠されている無意識のエゴは、意識に上がってきて、
認識された瞬間に消える。
なぜなら、エゴは実在ではないからだ。
逆に、今日の彼女みたいになってしまった時こそ、
隠されたものを削除してゆくチャンスだ、とも言える。
そして、落ち着いた時に、
そういうパフォーマー兄弟たちによって炙り出される
分離したと思い込んだことに起因する憎悪や怒り、
罪悪感が裏返った自暴自棄を聖霊兄貴に委ねてゆく。
〝離れてない。起こってない。だから罪はない。〟
〝自分はいない。他者もいない。だから世界はない。〟
新・断固三兄弟で赦してゆく。
赦しを選択し始めると、兄貴が仕事をし始める。
ある時は、強烈なパフォーマーを次々に繰り出し、
VR上に投影させてくる。
しかし、
その段階で赦せないものを、兄貴は差し出したりしない。
正しいハートの知覚に戻してください。
自分も兄弟も無罪であることを分からせてください。
世界はなく何も起こっていない事を実感させて下さい。
そして、そのあとは聖霊に道を譲る。