今日の香港の気温は28度、いよいよ夏本番である。
と同時に、今年もケリーとエアコンの温度を巡り、
攻防戦を繰り広げる季節となった。
スタバ、レストラン、バスの中、職場、など、
香港では夏になると、エアコンをガンガンに効かす。
真夏のバスの中で凍死するお年寄りもいるほどだ。
うちのオフィスでも、こちらがちょっと気を抜けば、
エアコンの設定温度が18度になっていたりする。
そのくせ、みんな、寒い寒い、と言いながら、
セーターやカーディガンを着こんで仕事をしている。
もう、わけがわからない。
じゃあ自分の家ではどうかと言うと、
扇風機をフル活用し、極力エアコンは使わない。
理由は簡単だ。家でエアコンをつければ、
自分が電気代を払わなければならないからだ。
と、ここまで書いて思った。
僕たちは常に、自分に属するモノか、
自分以外に属するモノかで物事を判断している。
それも無意識かつ反射的に…。
わたしのお金だと5千円のホテルに泊まるが、
会社のお金だと2万円のホテルに泊まる。
わたしの服が汚れるとイラッと来るが、
他人の服が汚れても何とも思わない。
わたしがいじめられるくらいなら、
私以外の誰かが犠牲になってくれた方がいい。
僕の場合で言えば、
ジムのシャワーでは、お湯を出しっぱなしだが、
自分の家だと体を洗っているときはお湯を止める。
個人の印刷物がある時は、家のプリンターではなく、
会社のコピー機で印刷する。
また、銀行手続きや歯医者などの私用は、
外出のついでに就業時間内に済ませる。
2分35秒ほど前に気づいたのだが、
雑事のために私的な時間を使うと、
〝自分〟の時間が減る、と思っているのだ。
上記に挙げたそれぞれのシーンは、
多くの人が普段、何気なくやっている事柄であるが、
その原因となっている心の中を見つめてみると、
物質、時間、場所、関係性、お金、などの、
自分に属すると思っている物が減少することにより、
自分が敗北する、自分が消失する、自分が罰せられる、
果ては、自分が死ぬ、とさえ考えている。
というわけで、
今日はエアコンの温度をめぐる攻防戦から始まり、
昼休みには〝所有からくる分離の想い〟
を観察し、赦してゆく羽目になった。
誤解を避けるために言えば、赦した結果として、
上記に書いた事柄が全部なくなるのがよい、
ということではない。
また、どんな行動を取るべきかということを、
云々しているのでもない。
兄貴にささげるのは、
心の中で選んでいる〝分離の想い〟だけである。
あとは、兄貴に全部委ねてしまう。
とはいうものの、
〝私は肉体を持った独立した個です。〟
というエゴの根幹にかかわる部分を観るのは、
少々、いや、だいぶキツかった。
おかげで午後はダウン。早退した。(笑)
まあいいや。
幻想を終わらせ、父のもとへと戻るために、
いまできる最大限のことをしてゆくのだ。