香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

だれでもわたし(パート2)

今日の香港は気温30度を超え、ついに真夏日となった。

夜はエアコンを使わず、網戸にして寝ている。

じっとりと汗がにじみ出てくるのだが、

虫の音と、木々のざわざわいう音がなんとも心地よく、

なんかいい感じである。

この夏はエアコンなしで乗り切ろうと考えている。


今週金曜から乙女ののりちゃんちで合宿である。

なんか、料理とか自分たちで作るらしい。

ぎえええーっ。マジかっ!

書類にサインすることしか知らない僕…。(←うそ)

包丁で野菜切りなんて絶対に無理だよう!


たぶん、

「香港さんはそこに座っててくださいね!」

なんて言ってくれる優しい人がいるかも。(←いない)


あっ、でも、僕にだってできることはあるのだ。

ご飯炊けるよ。無洗米だったら…。

食パンだって焼ける。


まあ、狭い台所にたくさん人が立ってても邪魔だし、

赦しだって、今自分ができる範囲でいいですよ、

って、いつも言ってるしさ…。

それにいざとなったら、のりちゃんのお母さんと、

サッポロ一番味噌ラーメン作って食べればいいさ。


と、勝手なことをほざいておりますが、

す、すんませんっ!

食器運ぶのとか、洗うのとか、

そっちの方でがんばります!

ここ数日、人と会話していると、

時折奇妙な感覚に襲われることがある。

自分が相手に「誰々さんがね…。」と言うとき、

まるで「僕がね…。」と、

自分のことを言っているように思ってしまう。

また、相手が僕に「誰々さんがね…。」と、

第三者のことを話すとき、まるで「わたしがね…。」

と、相手が相手自身のことを喋っているように

聞こえてしまう。


これは決して被害妄想的な意味ではなく、または、

人の気持ちを自分のように感じるという共感でもなく、

何と言うか、誰の話をしていても、

常にたった一人の人の事しか話していないような、

不思議な感覚に陥るのだ。


ここへきて、

わたしとあなたの境界は曖昧になりつつある。

なんか、ひとつの球体になってしまうようなイメージ。

それは、

無数の個に分裂した多重人格状態にある僕たちが、

ひとつの神の子(決断の主体)へと

収斂されていくことでもあるのだろう。