今日の記事の題名、土曜ワイド劇場でやってる
サスペンスドラマのタイトルみたい。(笑)
というのも、
今週はずっと香港事務所で仕事をしていて、
表面上は何もない穏やかな時間を過ごしているのに、
なぜか、心の中には訳のわからない殺意の様な想いが
どんどん湧き上がり、それを全託するのに忙しかった。
殺意と言っても、実際に誰々の命を奪いたい、とか、
誰々が憎い、といった具体的なものではない。
何でもない仕事上の電話応対の裏に、
満員の電車に乗り込んで来た人に対する想いの裏に、
ちょっとした同僚との雑談の裏に、
果ては、この人大好き、という感情の裏に、
反転した殺意が潜んでいることを感じてしまう。
〝面倒くさい〟〝ウザい〟〝ちょいイラ〟〝きらい〟
〝認められたい〟〝勝ちたい〟〝所有したい〟
〝カワイイ〟〝大好き〟〝愛おしい〟〝憎い〟…。
殆どすべての想いが〝殺意のすり替え〟だった
という事実を、頭でなく心で認識したときの驚き。
消えてゆく姿の真理を体得せよ - YouTube
↑この講話が、もっとも解りやすく、
消えて行く姿を説明していると思う。
昼休み、YOUTUBEで〝消えて行く姿〟と検索し、
出てきた五井先生の映像を片っ端から聴きながら、
まんじりともせず過ごす。
今出てきている想いはすべて過去のものであり、
今の自分のものではない。
ただ、過去の想いが消えて行く姿なんだ。
その思いを丸ごと神に全託せよ、と五井先生は言う。
〝分離の想い〟を観察する。
神を殺してしまった、と思い込んでしまった自分が、
その罪悪感と恐怖を兄弟にすり替えている。
罪深い兄弟を殺すことで自分は赦されると思っている。
そんな勘違い劇場を聖霊兄貴に委ねて行く。
神を殺せるわけなどなく、
殺そうと思ったことすらない。
〝離れてない。起こってない。だから罪はない。〟
〝自分はいない。他者もいない。だから世界はない。〟
ともすれば、ああいうことかな、こういうことかな、
と飛び出そうとする自分も全て全託する。
一日中、こんな事ばかりして給料をいただいている僕。
ありがとうございます。社長!