3日の午後に新幹線で京都から東京へ向かった。
当日、僕を見送りがてら両親も京都までついてきた。
加賀屋で京懐石のランチをみんなで食べた。
父は始終ニコニコと楽しそうに、
母とおかずの交換をしながら、料理を食べている。
母も、父に対する愚痴を僕に言えたことで
気持ちがすっきりしたのか、表情は穏やかだ。
今回の大阪での滞在中、
意識的に今にいることを心掛けた。
ともすれば無意識に反応してしまう自分を捉え、
意識を今に戻し、出てくる〝分離の想い〟を
兄貴に返してゆく。
両親に見送られながら、新幹線乗り場へ向かった。
ホームは修学旅行の中学生たちでごった返していた。
懐かしい。今でも地べたに座って待つんだ。
なあんか、風景が〝完璧な何か〟によって、
動かされているように感じる。
これ以外、絶対に在りようがないと思えてくる。
〝これ〟は優しさに溢れている。
品川に着くと、そこから兄弟てっちゃんちへ向かう。
最寄り駅で待っていると、
兄弟てっちゃんが車で迎えに来てくれた。
ひゃっほーい!4カ月ぶりの再会である。
いつもの中華屋さんで奥様のさおちゃんと合流し、
食事をしながら近況を語り合った。
モノづくりが大好きな兄弟てっちゃん。
もう長い間、厳しい職人の世界で頑張っている。
家具作り、塗装、内装、板金、旋盤、と、
それぞれの匠を習得しようとする毎に、
気難しい職人気質の親方に付かねばならない。
もう毎日、朝から晩まで赦しの連続なのだそう。
元来現場の世界では、怒鳴る、喚く、理不尽な暴言は
日常茶飯事なのだそうで、それでも最近は、
付近に住む住人に不快な思いをさせない、とか、
通りがかりの子供に悪影響を与えないため、とか、
高所の足場で大声を出されると危険、と言うことで、
そういう親方の怒鳴り声も自粛ムードにあるのだとか。
それに、今では若い職人さん自体が少なく、
てっちゃんが若手と呼ばれる世代になるのだそう。
一日目から、お菓子とワインで語り合う。
僕は、最近毎日がすごく平安になり、周囲の人たちや、
街中で出会う見知らぬ人たちが、
気持ち悪気くらい優しい、という話をした。
これは自分の見え方が変わったのか、それとも、
そういう次元にシフトしてしまったのか、
という話しているうち、どちらともなく、
ビッグバンになぞらえて解析しはじめた。
① 最初にほんのごくごく小さな揺らぎが起こる。
② 強い力、弱い力、電磁波、重力の、
4つの力が生まれる。
③ そこから物質と反物質が生まれる。
④ 物質と反物質がぶつかることで相殺され、
二つは消滅する。
⑥ 最後に物質の方が数個だけ多く残ったために、
物質世界(宇宙)が出現した。
これを赦しに置き換えると、
① 神の子に、神から離れたらという考えが起こる。
② 決断の主体/エゴ/聖霊/投影の、
4つの分裂が起こる。
④ 心の世界と物質世界(宇宙空間)が現われる。
⑤ 心の世界に隠されている罪悪感を認識し、
分離の想いを決断の主体へと戻し、
聖霊に返すことで心の世界と物質世界が等化され、
削除される。
⑥ 世界(エゴ)が消滅する。
平安であることや、愛だけになることが、
赦しの目的でないことは承知しているが、
ちゃんと赦しが進んでゆくと、否が応でも、
分離は削除され、現在、過去、未来の中で、
起こるはずだったこと、現われる筈だった人、
の削除が起こる。
ひょっとしたら、意識の自分としては、
「なんだか最近周囲の人が優しいなあ。」
と感じている裏で、無数に取り消され、
記憶から抹消された、あんなこと、こんなことが、
たくさんあるのかもしれない。
過去の記事で書いた、あの記憶喪失の青年のように、
自分にはその記憶が無いだけで、
本当は過去に様々なことが起こっていたのだけど、
聖霊兄貴によって記憶自体からも削除され、
設定が再編成されてしまっているのかもしれない。
そうやって、やがては、
自分が見る世界が平和そのものになり、
幸せな夢の期間が訪れるのだろう。
まあ、そうやってワインのボトルが2本空くころ、
「ほら、アンタたち、もういい加減にしなさいよ。」
とでも言うように、さおりっぺが、
僕たちの隣に布団をドンと置いたのを合図に、
その日の語り合いはお開きとなったのであった。