いま、左卜全(ひだりぼくぜん)に夢中である。
僕がまだ、ものごころがつくかつかないかの頃、
どうしても青江三奈をカラーで見たい
と言いだした父親が、母親の猛反対を押し切り、
当時まだ発売されたばかりの日立のキドカラー
(多分、田辺氏ならご存知だと思う。)という、
タンスのようにデカいカラーテレビを買ってきた。
そして、電気屋さんに取りつけてもらい、
いち、にの、さん、でスイッチを入れて、
最初に画面に現れ出たのが、
あの『左卜全とひまわりキティーズ』が歌う、
『老人と子供のポルカ』だった。
〝ドゥビドゥバー、パパパヤーッ!〟
〝やめてけれ、やめてけれ、やめてけーれゲバゲバ〟
〝かーみーさま、かーみーさま、助けてパパーヤー〟
鬼束ちひろも真っ青というほど、かっと目を見開き、
飄々と歌う老人の姿は幼児の僕にはあまりに衝撃的で、
ひまわりキティーズの無表情なコーラスも怖い。
まだ幼かった僕は恐怖し、最後の「たすけてえー!」
の一声で、とうとう泣き出してしまった。
当時のことを僕は全く覚えていないのだが、
それからは僕に左卜全を見せないようにしていたと、
後日、母親が何度も語っていたのを覚えている。
この人、52歳で初めて結婚し、55歳で映画デビュー、
75歳で歌手としてもデビューし、
40万枚を売り上げて大ブレイクを果たした。
また、黒澤映画には欠かせない人でもあった。
日本の芸能界史上、最も奇人と言われた人の一人で、
不老長寿の霊薬が入っているという水筒を首から提げ、
いつも持ち歩いて飲んでいた。
自宅に〝若返り回転機〟という、体を固定して、
上下回転するベッドのような機械を据え付けていて、
必ずこれでひと運動してから出かけていた。
晴れた日に長靴を履き、雨合羽を着た上に、
雨傘を持って劇場や撮影所に出勤してきた卜全に、
理由を尋ねたところ「神のお告げがあったから。」
と答えた。
妻は新興宗教の教祖で、信者は卜全ひとりだけだった。
撮影の合間によく手を合わせてお祈りをしていたが、
ギャラはすべてこの教祖に捧げていた。
当時の卜全にこの歌についてインタビューした際、
「天地自然、宇宙進化の為に歌っている。」と答えた。
死の床の際、最期を看取った卜全の妻が「一郎さん」
と呼びかけたら「は〜い」と応えたのが最後だった。
口パクで、と言われても、必ず本当に歌っていた。
なので、テレビでは必ず音声がだぶって聞こえる。
す、す、素敵すぎる!
恐るべし、ぼくぜん先生。
もう、すごすぎて、震えが来るほどだ。
この歌の中に登場する「ゲバゲバ」は、
学生運動の語源となったゲバルト(暴力)のことである。
今、この歌を歌うなら、さしずめ、
〝ゲバゲバ〟や〝ストスト〟(ストライキ)は、
〝テロテロ〟や〝カクカク〟に置き換えられるだろう。
なんか、この人って、
本人は全く気付いていないのかもしれないが、
完全解脱状態というか、明け渡し状態というか、
もう全く幻想世界を信じておらず、
お金、地位、人の言動等にも執着せず、
今起こっていることを完全に受け入れて生きている。
そのくせ、どこかに大きな愛を感じさせる。
また、卜全先生を見て、
〝人生最後の状態〟って本当に大切だなとも思う。
どんなに順調で栄華に包まれた一生であっても、
どんなに赦しの実践数十年のベテランであっても、
死ぬ前の3カ月が〝本人にとって〟(←ここ強調)、
目も当てられぬ状況だったら、アウトだ。
また、一生を恐怖と罪悪感の中で過ごしていたとしても、
最後の3日で全てを赦し、明け渡すことができれば、
それで全てチャラ、OKである。
そう、僕たち、まだまだ最後の一日までわからない。
終わりよければ、全てよし、なのだ!
と、ばりばり自分でやりたい自分を発見。
なので、
〝神様〜助けてえ〜!!〟
今後僕はこのスタンスで行こうと思う、
と、強引に神の方へ持っていって、フィニッシュ!