連日ワイドショーをにぎわせている舛添知事であるが、
さすがにここへきて、外見の劣化がすさまじい。
最初のころは、てかてかの顔に余裕の笑顔を見せ、
人を馬鹿にしたような言い訳にも迫力があったが、
最近はもうよれよれのおじいちゃん状態となっている。
罪を認めるとすさまじい罰が下されるという恐怖に、
必死で対処しようと平静を装う姿は、哀しくさえある。
それにしても、
全都民に憎まれるってどんな感じなのだろう。
そして、これだけの憎悪にも耐え得る精神力って、
ある意味すごいと思う。
それでもまだ、神から憎まれるよりましだ、
ということか。
毎日、このニュースを見て〝消え行く姿、今あるうちに〟
とばかりに赦しまくっている。
ある意味、今回の件は、
僕たち日本人全員の心の中に温存されていた、
〝自分の金を使えば減る。〟という欠乏感や、
〝自分さえよければいい。〟という分離感、そして、
〝人より特別でありたい。〟という差を見たい思いが、
舛添都知事に起こっている事として見えているのだ。
要するに、みんな無意識下では、舛添知事のように、
あわよくば他人のお金でうまくやりたいと思っている。
ただし、この無意識下というのがミソで、
面と向かってそう問いただされると、
「ばかなことを言うな。俺はそんな事はしない!」
と猛反発をしたりする。
また、
〝他の誰をも信じない。自分だけが頼りだ。〟
〝自分で何とかしてみせる。〟
〝自分は悪くない。みんなもやっている。〟
と、大いなる存在から離れた分離感に対処するため、
自暴自棄となって駄々をこねる姿は、
僕自身の心の中を観察すれば、すぐに見つけられる。
ただ、それを自身の中に見たくないので、
他の誰かに起こったこととして見ているだけだ。
いわば、公に起こる事件などは、別の観点からすれば、
分離していたいという国民の意識の象徴でもあるのだ。
そして、戦争もこれと同じ原理で起きている。
↓戦争と人々の意識については下記をご参照下さい
ひびき - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー
小さな殺意 - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー
個々の心の中に溜め込んだうんこちゃんが、
火山が噴火するように、地球上のとある
全く関係のない場所で、一気に噴出する。
なので、カタチの上では、
ちゃんと彼を追及する一方、
僕たち個々の心の中にあると思い込んでいる汚物を、
そんなものは最初からなく、ただの思い込みだった、
ということを認め、赦し、手放していく必要がある。
それにしても、
舛添都知事がここまでやってくれているおかげで、
僕は自宅のリビングでワインを飲みながら、
隠蔽した罪悪感を明け渡してゆける。
舛添都知事を見てこみ上げてくる想いは、
自分に対する憎悪の想いでもあるのだ。
ありがとう。舛添都知事。
早く降参して、謝罪してね。