香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

必死のパッチで!



ここ数日、ある人のセミナーを予約しようと、

料金の支払いなど、あれこれちょちょまっていた。

海外送金の為、何度も主催者とやり取りをしながら、

秘書のケリーまで巻き込み、てんやわんやの大騒ぎ。

それでやっと昨日、振り込みが完了し、

予約確定のメールが主催者から届いた。


まだまだ先の話だというのに、

絶対にこの2日間は他の予定を入れないよう、

ふぁちゃんに何度も念押しをし、スケジューラーも、

この日は変更不可に切り替え、万全を期す。


ああ、やめられない、止まらない、と思いながらも、

今にいて、意識的に自分が何をやってるかは見続けた。


〝満員にならないうちに早く予約を完了させねば。

〝他の人に席を取られたらどうしよう…。〟

〝もう3日も経ってるのにまだ着金してないなんて、

 銀行は一体何をしているんだ!〟

〝やっぱり、東京三菱UFJ銀行はだめだな。

 三井住友にするべきだった。〟

〝銀行から着金の連絡があった。ああよかった。〟

〝主催者に早く知らせねば…。〟


海外送金なんて、

毎日の日常業務でいくらでもやっているのに、

それが自分の損得に関わる重要事項となると、

途端に焦りだし、必死のパッチとなる。

もう兄貴になんかには任せておけない、

自分で何とかしなければとあくせく動き回ってしまう。


それでもまあ、

日ごろの実践の成果なのかどうかはわからないが、

今回は、ほぼ最後まで無意識に突っ走ることはなく、

自分で何とかしようとしている自分や、

強烈な自我の想いを観察し、これは起きてないと、

兄貴を選び直して、明け渡していくようつとめた。


そう。僕の最近のモットー。

〝消えゆく姿、見えてるうちに…〟である。


また、一連の過程の最中にも、

〝この人だけは特別であり、他の人とは別物だ。〟

〝セミナーに参加する事で何かいいものを得たい。〟

〝学びに対して、他の人に遅れを取りたくない。〟

という分離の想いを認識し、兄貴に委ねてゆく。

必死のパッチになりそうになる自分を、

ぱっと兄貴モードに切り替える。


そうこうするうち、やがてこの件は〝セミナーに出る〟

という、ただの〝起こること〟に変わっていった。

いま見えている光に在る、つまり、赦す、とは、

見えている人や物や事に対して意味づけしない、

判断をしない、決めつけない、裁かない、

ということなのだと、頭ではなく腑に落ちて学んだ。


かと言って、判断しない、決めつけない、裁かない、

を、自分でやるのなんて不可能だ。

そんなことをすれば気が狂ってしまう。

なので、こういう分離の思いが上がってきた際には、

もうさっさと聖霊兄貴に丸投げすることにする。

〝丸投げ〟くらいなら僕にでもできるだろうから…。


例えば、

道を歩いていて、ある女性とすれ違ったとする。

この人は中国人で、大陸の人で、20歳くらいで、

グラマーで、身なりからして学生だろう、と、

とっさに判断し、自動的に決めつけ、納得する。

その決めつけと判断は反射的で、

自分で制御できる範囲をはるかに超えている。


また、

業務上のメールを受け取ったとき〝何々の依頼〟

という表題を見ただけで、開く前から嫌悪に襲われ、

この人にはこういう人だから、こういう風に対処せねば

と、決めつけ、ドキドキ緊張したりする。


そんなことを言うなら、僕たちはもう24時間、

日本はこうで、佐藤さんはこうで、この椅子はこうで、

スタバのコーヒーはタリーズのコーヒーよりこうで、と、

狂った判断や裁きを下しまくっていることになる。

それも、ソッコー無意識的に…。


そういう心の一挙手一投足を見つめ、観察し、

〝僕、VR中毒なんです。どうか助けてください〟と、

聖霊兄貴に降参しながら委ねまくってゆく。


すると、

明日すごく嫌な人に会わねばならないとしても

昨日パートナーと喧嘩して腹を立てていたとしても、

お金がなくて、来月どうしようと思案していたとしても、

いまこの眼前に在るのは、ただのコーヒーカップであり、

テレビの画面に映っている番組であり、

文字が書かれているPCの画面であり、

人が口を動かして何か話しているという、

設定通りに投影されている0と1の映像だけだ、

ということを認識できるようになってくる。


ただ、ここで注意することがある。

絶対に、絶対に、絶対に、自分でやらないことだ。

なぜなら、自分そのものもVR世界の住人であり、

通り過ぎ、やがては解体されてゆく幻想だからだ。


判断しないようにしよう、と思えば、

判断しないようにしようと判断している自分が生まれ、

果てしないパラドックスに陥ってしまう。


判断しない、裁かない、決めつけない、ということを、

実践しようとするのではなく、判断している自分、

裁いている自分、決めつけている自分を認識し、

そのおおもととなっている〝分離の想い〟を、

決断の主体から兄貴に丸渡ししまくるだけでいい。

そのプロセスさえ確立できれば、会社や学校などでも、

案外できると経験上言える。


右利きの人が練習次第で左手で字が書けるようになる

のと同じく、要は慣れと修練の問題なのである。


あっ、フェリーが香港の港に着いた。


あっと、驚く、タメゴロウ〜。

ほな、ばいならー!