香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夏至の日によせて



先週末あたりから、益々光が強くなっている。

そう言えば、今日は夏至だった。

今年の夏至は6月21日の午前7時34分。

どうりで眠いわけだ。土日はほとんど寝てた。

それに、目まいもするし、頭も痺れる。

今年は夏至のエネルギーが特別強烈な気がする。

こういうときは、静かに肉体を休めるに限ると思い、

ベッドに仰向けになり、天井を飛ぶ光の粒子を、

ふわふわの意識でぼーっと眺めなていたら、突然、

この〝わたし〟という存在が、ふっ、と揺らいだ。


自分自体が全部ウソじゃん。

そして、次の瞬間、頭が真っ白になり、

大きな解放感と安心感に包まれた。


〝ああ、もう、いまこの瞬間に、自分がすべて

解体されてしまったっていいや。〟

〝自分が分解されて、無くなっても構わない。〟

〝もう、今すぐ存在が消えてしまってもいい。〟


心底そう思えた。

自分というものがどこかへ移行するのでもなく、

別の〝もっといいもの〟に変化するのでもなく、

個の自分が〝父が待つ故郷へ戻ってゆく〟

ということでもない。

自分〝それ〟自体がなく、

消える覚悟ができたという感覚だ。


ぜーんぶ光の中(ハートの中)へ委ねてしまって、

自分がなくなってしまっても全く差支えが無い、

という感覚…。

完全に神に捧げている状態ってこんな感覚なのか。


聞こえるものに意味はなく、話す言葉にも意味はなく、

食べているものにも、スマホの画面にも意味はない。


なんと言えばいいのだろうか。

わたしが赦しをするなんてあり得ないし、

わたしが心の中の罪悪感を見つめるというのもない。

わたしがその考えそのものである、という体感だ。

その、強烈な休日の午後の体験から一夜明け、

月曜日、普通に会社へ行き、仕事をした。

「自分さえも聖霊に捧げた状態で、どうやって仕事を

したり、計算したり、予定を立てたりできるんだ?」

と、僕も以前、ハレ師匠に何度も質問していたが、

自分なんてなくてもOKと、聖霊兄貴に丸投げモード

に移行すると、物事が消えてゆく光として流れはじめ、

いまの平和が輝き出す。

そして、この体験もまた、過ぎてゆく〝個のわたし〟の

体験として、泡ぶくのように解体されてゆく。


と、そんな状態で夕食と共にテレビをつければ、

クラウド録画の番組欄にAKB48の選抜総選挙が…。

本当は土曜日に放送されていたようなのだが、

さっきまで総選挙の存在にすら気づかなかった。

日本の神を決める〝神選挙〟を見逃すなんて、

去年までの僕にはあり得ないことである。

↓AKB48関連の過去ログはこちらぷるぷる - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

神選挙終結! - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

〝5万票もの多くの愛をいただき…。〟

〝選抜に入り、やっと皆さんに認められたと…。〟

〝悔しいです。来年はきっと一位を目指します。〟


もっと無意味な感じに見えるのかなあ、

と思いながら総選挙を見ていたのだが、違った。

画面に〝顕れているもの〟それ自体が〝わたし〟

で、それは〝わたし〟と共にただ消えてゆくだけ、

という感じ。

矛盾しているようだが、無意味なのに愛おしいのだ。


総選挙の後、白川由美さんの告別式を中継してたが、

画面を見ていて思ったのが、

どんなに素晴らしい一生を送ったように見えても、

悲惨な一生を送ったように見えても、

総選挙で1位であっても、選抜漏れしても、

最後はみんな終了する、という事実である。


自分は死んでもわたしが書いたこの本は残る、

わたしが生んだ子孫は残る、と、

人は自分が生きた証を残そうとする。

しかし、それもやがて忘れ去られ、ていうか、

本人自体は残らないので、証が残っているところを

本人は見ることができない。

それはある意味、何も起こらなかったのと同じことだ。

なんだかゲームを何回もリセットしてやってるみたい。


やはり、僕たちは、

過ぎてゆく場面を、ただ見送ることしかできないのだ。


もう、こんなの要らない、と思いつつテレビを消した。


そうして、発酵しはじめた空間の中で、

ひとり佇む、暑い暑い夏至の夜であった。