香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

過ぎてゆく〝わたし〟


↑佛山市内の風景

今日は、午前中香港事務所で業務をしたあと、

午後から広州の弁護士事務所で弁護士さんと、

新製品の営業登録についての打ち合わせをしてから

会社の車で佛山のホテルに入った。

明日は佛山工場で環境検収の立ち会いがあるが、

ただ、これも、通り過ぎる影であり、まるでそれが、

本当に起こっているかのように欺かれている。


なんかこの頃、明日何々があるから頑張ろう、とか、

休日にあれをするのが楽しみ、というような感情が

すっかり無くなってしまった。

これもあれも過ぎてゆき、記憶に変わる。

去年はこうだった、2013年のあの時はこうだった、

ということに何の意味があるのだろう、と思えてくる。


↑夜10時の佛山のショッピングモール広場
 こんな時間になんでちびっこが汽車ぽっぽに?
 という意味づけを捧げる。

近くの床屋で散髪をしてもらったあと、

小さな食堂で鶏肉の甘酢あんかけの夕食をとり、

さっき、ホテルの部屋に戻ってきた。


どこで髪を切るか、どんな髪型にするか、

どこで何を食べるか、ホテルで何をして過ごすか、

ぜんぶ聖霊兄貴に決めてもらう。


〝これ、本当に聖霊が決めてるのだろうか。〟

〝どうやればこれが聖霊の答えだと分かるのだろう…。〟


攻撃の想いそのものである自分は引き下がる、

と覚悟したときから、このような疑問は払拭された。

もともとそういう思い自体が邪魔であり、

マニュアルのようなコツなんかもない。

要は、兄貴を信頼して意志し続けられるか、

それだけである。

おととい辺りから、また感覚が変容を始めた。

これまでは、どこか別の場所にいる聖霊兄貴に、

分離の想いを明け渡してゆくというスタンスだったが、

今は、ロウソクの炎みたいな明るい聖霊の光の中に、

すっぽりと包まれて生活している感覚である。

その兄貴の柔らかい光の中で、

あらゆる個人の想いを放出し続けながら、

話したり、電車に乗ったり、食事したりしている。


もう聖霊の中に丸ごと入ってしまい、

その間に距離がないのだ。


この人は陳という中国人の弁護士で、45歳で、男で、

1時間1,700人民元も払っている、という意味付けや、

明日、環境監査機構の人が来るまえに、品管部長に

この事とあの事に注意するよう言っておかなければ、

という判断や、デイヴィッドのリトリートに参加するには

英語が流暢でなければならない、という思い込みや、

なんだこいつ、なんでこうなるんだ、ふざけんな、

という攻撃の想いは絶えず上がってくるのだが、

ああ、もうこれ全部、欺かれているんだ。

見えてるもの、感じてるものに何の意味もないんだ、

と瞬時に聖霊に吸い上げられ、即行で修正される。


〝あなたが自分の想いを私の導きの下に置いた

 途端、私が自動的にコントロールします。〟


常に、自分は聖霊兄貴に包まれている。

どんな思いが上がってこようとも、それと同一化して、

自分を情けなく思う必要なんてない。

恐怖をベースに仕事をすることもなければ、

人生の何かをよくする為に苦闘することもない。

自分を守るために、策略をめぐらすのもやめる。

兄弟の罪を延々語ることもしない。


これを全部、聖霊兄貴の中で意志する。

自分が行なうのでもなければ、

聖霊兄貴と一緒に行なうのでもない。



聖霊に包まれ、絶大な信頼感と共に在る感覚。

兄貴に全て導かれるという絶対的な信頼感。

ただ起こったことを観察して、聖霊に身を任せるのだ。


ホテルの鏡に散髪したての自分の頭を映して見た。

刈り上げがボコボコ…。ひいいーぃっ!

えへん。もとい。

ただ起こったことを観察して、聖霊に身を任せるのだ。