香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

おっとどっこい、なベールの向こう



以前は、時間の速度が速すぎる、と言っていたのに、

最近、時間の進み方が遅くなったと感じている。

それから、以前のように爆睡することが無くなった。

以前はいくら寝ても眠かったのに、

毎日、4時間くらいしか寝てないのに全く眠くない。

夜、2時くらいまで何やかやしていても、

6時頃にはすっと目が覚めるのだ。


えっ?それって、ひょっとして、

僕が〝おじいさん〟になってきたってこと?(ひっ!)


昨夜はWOWOWシネマで『きっと、星のせいじゃない』

というアメリカの映画を見て、大泣きしてしまった。

この映画を観て感じたのが、

全ては、顕われては消えてゆく姿なのだ、ということ。

そして、みんないずれ、ここから去る、ということだ。

個の自分がやったり経験した数々の出来事も、

全部無かったことになる。幻想なのだ。


映画を観て泣いてる自分。

個の自分もいずれは消えてなくなるのだな、と、

映画を観ながら、考えている自分。

ワインをもう一杯飲もうかな、とふと思う自分。

そこに〝わたし〟の想いが在るのでもなく、

〝わたし〟の肉体が在るのでもない。

ただ想いが在るだけ、身体があるだけで、

全ては主体なしに起きている、

在るのはそれに気づいている純粋意識だけで、

それは個の自分の意識ではない。


ノンデュアリティ(非二元)で言えば、

上記のような解説になるのだろう。

それはその通りだと思う。

しかし、その元となる原因はあると思うのだ。


純粋非二元であるコースでは、その原因について、

それは、決断の主体がエゴを選び続けているからだ、

と説明している。

神から分離したと思い込んだことから来る

巨大な恐怖から逃れるため、

あらゆる思考が絶えることなく流れることで、、

エゴの元ネタを直視しなくて済むのだ、と…。


非二元では、エゴも幻想であり、元からなかった、

故に、純粋意識においてはエゴは存在しないと言う。

コースでは、エゴは幻想だが、

無意識の心が強固にそれを信じているので、

先ずそのエゴの思い込みを、

聖霊と言うツールを用いて解体し、無意識の心が、

真に天国(神)を受け入れられるようにすることで、

この幻想から永遠に脱却してゆくのだ、としている。


どちらが、よい、悪い、は別として、

ノンデュアリティとコースの大きな違いは、

そこに神の概念が存在しているか否か、にあると思う。

前者は〝I AM〟(私は在る)、であるのに対し、

後者は〝GOD IS〟(神は在る)、である。

要するに、還る場所が違うのだ。


↑最近、お絵かきにハマっている。

僕の場合、聖霊に明け渡せば明け渡すほど、

あると思い込んでいるエゴが削除されてゆく。

いくらこっち側の自分が「エゴなんて元から無い。」

と主張したところで、ベールの向こう側にいる自分は

納得しない。そのことを繰り返し聖霊から学ばされた。

それにベールの向こう側のことは、

個の自分にはどうすることもできず、

兄貴に任せ、委ね切るしかない。


僕はもう、この投影の世界に戻ってきたくない。

いつ個の自分が解体されてもいい、と思っている。

しかし、忘却のベールの向こうでは、

まだまだいろいろあるようだ。

ということで、兄貴、

あとしばらくは、よろしくお願いします!