香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝ふっ…〟とあがってくるもの 

新しく加入したばかりのジムで、初めてトレをした。

ずっとデスクワーク続きで運動不足だったので、

久々に身体を動かせて、とても体が喜んでいた。


ここのジム、前のジムと雰囲気がだいぶ違う。

ガンガン筋トレするマッチョタイプの人は皆無で、

男女ともにしなやかな身体を目指す人が多い。

特に女性は、洗練されたキャリア女子という感じで、

みんなオシャレで、穏やかな自信に満ちている。

分からないことも、とても親切に教えてくれるし、

自分に余裕と自信がある人って、優しいんだな、

とつくづく思った。


マシンで走った後、ストレッチエリアで瞑想もした。

ヘッドフォンでアンフィニの音楽を聴きながら、

アーナパーナ→ヴィ瞑想→大放出→ハートに在る

という感じで40分くらいやる。

何かをしている自分はいないので、瞑想はしない、

という非二元の人も多いが、僕の場合、

単純にハートにいるのが気持ちいいのでやっている。


そして、今日、その瞑想中に気づいたのが、

僕たちは常に〝ふっと湧き上がってきた想い〟に

支配され、何一つ自分では決めてこなかった、

という事実である。


例えば、

昔、仲の良かった友人の顔が、ふっ、と浮かんでくる。

今夜はカツカレーを食べよう、と、ふっ、と思う。

今日はジムへ行こう、と、ふっ、と決める。

あの人が言った「別になんでもいいよ。」の一言に、

何でか分からないけど、むかっ、と来た。などなど…。


これら、考えたり、表現したり、思い出したり、

リアクションをしたり、といった全てを、

自分の意志で決めている、と思っているが、

その、もとの、もとの、おおもとをよーく観察すると、

何だかわからないが、どこからともなく、ふっ、と、

湧き上がってきた想いによって決めている、

ということが見えてくる。



自分はいま過去のあの事を思い出そうと決めたから

あの嫌な事を思い出している、とか、

自分が相手のあの言葉に腹を立てようと決めて、

こうして怒っているんだ、とか、

ラインで来た「明日会わない?」という言葉に対して、

本当は会いたくないけど、あの情報は欲しいし、

と考えた末に「いいよ」と返した、と、

無意識に思っているけど、その根源をよく辿ってみると、

実際には、この〝ふっと上がってきたもの〟を、

自分のものとして取り込み、

「この憎悪、わたしのもの」とやっているだけである。


普段の何気ない雑談でさえも、

このふっと上がってきた想いを、

まるで自分の考えたようにして、

話したり、思ったり、しているにすぎない。


湧き上がる怒りに対しても、本当は、

自分が思いついたのでも、自分が決めたのでもない。

ただ、ふっ、と湧き上がる想いを捉えて、それに

個の自分が反応しているだけなのだ。


なので、未来は変えられる、なんてあり得ない。

自分で何かを変えたように思えても、本当は、

ふっと上がってきたものに従っているだけなので、

結局は〝何だかわからない設定〟どおりに事は進む。

そして、根拠もなく〝ふっと湧き上がってくるもの〟

のベースになっているのが

「自分は天国から追放された。」

と思い込んだことから来る〝分離の想い〟である。


忘却のベールの向こうへと隠蔽されている心は、

この〝ふっ、と上がってくるもの〟

が止まってしまうことを、最大級に恐れている。

〝ふっ、と上がってくる考え〟が消え、

静寂に戻ってしまえば、神を裏切った、

と思い込んだときに感じたどえらい罪悪感と、

真正面から向き合うことになってしまうからだ。


ふっと上がってくる想いが消え、すでに自分が、

父の中にいた、ハートの中にいた、と知覚するのは、

地獄にいることを認めるのと同じくらい恐怖なのだ。


〝罪なんてもとからないんだし…。〟

〝明け渡して聖霊に全て委ねるだけで消えてゆく。〟

〝本当は自分はもう天国にいるんだから…。〟


真実からみれば、その通りだ。

しかし、〝思い込んだ故のありもしない大罪〟

から来る、とてつもない恐怖が、

忘却のベールによって隠されてしまっているため、

本当はどんなに自暴自棄になっているかが、

僕たちには自覚されてこないのだ。


コースの加藤三代子女史も、講義の中で、

ワークブックを重視するのはいいのだが、

最低限のエゴの仕組みの理論を理解しておくことは、

赦しを実践する上で非常に重要だと述べられている。


でないと、

いとも簡単に、エゴによるすり替えが起こり、

実践が〝うわ滑り〟を起こす。


とまあ、そんなこんなで、

ふっと、ジムで40分間の瞑想をし、

ふっと、そんな理解を得、

ふっと、近くの食堂でカツカレーを食べたあと、

ふっと、ワインを買って家路に着いた僕であった。