昨日の夜、『妻への家路』という中国映画を観た。
2014年の製作で、大御所女優コン・リーが主演だ。
文化大革命の頃、右派のレッテルを貼られ、
僻地の強制労働所へ送られていた夫のフォンが、
1977年の文化大革命終結と共に開放され、
20年ぶりに妻の元へと帰ってくる。
しかし、妻のルーは、待ちすぎた心労から、
戻ってきた夫の顔を認識できなくなっており、
いくら周囲の人たちが、
「この人があなたの夫ですよ。あなたの夫は、
もうここに帰ってきているんですよ。」
と説明しても、ルーには目の前の夫が、
ただの近所の人にしか見えない。医師に見せると、
過度の心的ストレスによる記憶障害と診断される。
仕方なく、他人として向かいの家に住み、
妻に思い出してもらえるよう、奮闘するフォン。
彼は収容所で書き溜めた何百通もの妻への手紙を、
老眼のルーの代わりに読み聞かせ、
帰らぬ夫を駅に迎えに行く彼女にそっと寄り添い、
彼女の記憶が戻る日を待つ。
とまあ、こんな感じの物語なのだが、映画の中で、
「もう帰ってるんだよ。」という台詞が何度も出てきて、
なんか聖霊のささやきのようで僕をきゅんとさせた。
雨の日も、雪の日も、
北京駅へ夫を迎えに行く妻に付き添う夫のフォン。
だが、改札口から出てくる人たちを目で追う妻は、
となりのフォンには目もくれない。
一番会いたい人が隣にいるのに、それに気づかず、
毎日、その人の帰りを待ちわびる姿は、
今の自分の姿にも似て、笑えない。
きっと僕の兄貴も、こうやって何千年も、
僕の隣に寄り添ってくれているのかもしれない。
そして、映画の中で、自分が弾くピアノの音色に、
ピクリと反応する妻のルーを見るやいなや、即座に、
「僕はここだよ。」と話しかける夫フォンのように、
聖霊兄貴はいつも僕に気づかせようと、
いろんな映画を見せたり、
誰かにわざとらしい一言を言わせたり、と、
大奮闘してくれている。
その甲斐あったか、最近、
「俺って、なんか、大きな勘違いをしているみたい。」
「あれえ?ひょっとして俺、ずっと騙されている?」
「父はずっと僕の隣にいるのかも…。」
と、少しづつ正気に戻りつつある僕を見て、
兄貴も色めき立っているように思える。
先日の『バニラ・スカイ』といい、
今回の『妻への家路』といい、なんだか、
〝お父さんはここにいるよ。〟
〝君はもう故郷へ帰っているんだよ。〟
と言われているような気がして仕方がない。
もう、その内なる声につき従ってゆくのみだ。