香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

カラオケと罪悪感



一昨日の夜は、佛山工場の管理部のみんなで、

近くのレストランへ田舎料理(?)を食べに行った。

管理部は運転手と僕以外、みんな女性なので、

中国の通過儀礼である、度の強い地酒の乾杯攻め

もなく(運転手は運転するので飲酒禁止なのだ。)

ワイワイガヤガヤ、みんなで楽しい時を過ごした。


夕食後、

海坊主総経理も合流し、地元のカラオケ店に行った。

本当にローカル色満載な田舎のカラオケ店で、

日本の歌は、あいうえお順に並んでいる訳ではなく、

タッチパネルを見ながら、出てきた歌を適当に歌う。

『恋するフォーチュン・クッキー』があったので、

ノリノリの振り付けで歌ったら、ものすごく受けて、

あっという間に、ウェイシン(中国版フェイスブック)や、

ウェイボー(中国版ツイッター)に

僕の動画がアップされてしまった。

ちなみに、中国でAKB48は全く知られていない。

それにしても、カラオケなんて本当に久しぶりだ。

20年ぶりくらいか。


昔からカラオケが大嫌いだった。

プライベートでも行かないが、

特に仕事で行くカラオケは全力で断っていた。

あの大音量と、カラオケ店特有の匂いがダメなのだ。


しかし、先日、ムカデを手のひらに乗せた延長線で、

嫌悪に対する知覚が変化し始めているのか、

なんか、何をしていても、ひゅんひゅん赦せる。

まあ、いまはそういう時期なのかもしれない。


カラオケが嫌い、ヤスデが嫌い、の奥底には、

神に対する嫌悪が隠れている。

それを認めて、今を選び、天国を選び、

聖霊に知覚を訂正してもらう。

そうすれば、

たとえ、カラオケが大嫌い、と言って断ったとしても、

ヤスデを見てギャーギャー逃げ回ったとしても、

そこに罪悪感はない。

なので、どう行動したかは全く関係ない。

ヤスデを手に取ってキスができれば赦せている、

ということでは決してないのだ。

あくる日は、工場の部課長会議に参加した。

誰かが発表しているときに、資材部の課長(男性)が、

だるそうにあくびをしているのを見た海坊主総経理が

「話してる人に失礼ですよ。ちゃんと聴いてください。」

と注意をしたところ、本人はずっと無反応だったので、

総経理が「聞く気がないなら出て行ってください。」

と告げたのと同時に、その資材課長は、プイと、

部屋から出て行ってしまった。


資材課長にしてみれば、このくそ忙しいときに、

1時間も2時間も、こんな会議に付き合ってられるか、

といったところだろう。

しかし、この日は、倉庫の資材管理に問題があり、

在庫金額がぐちゃぐちゃになっていることが、

議題に上がっていたので、他人事ではない筈だった。


数か月前の僕なら、こういう光景を見たときに、

心の中から自然と湧き上がってくる分離の想いを、

一生懸命聖霊に明け渡していたのだろうが、

今回はもう、聖霊兄貴を想いだした途端、

この資材部長が〝何もしていない愛おしい存在〟

として知覚されてきて、この何も起こっていない空間に

天国が重叠しているのを観ていた。


まあ、いろいろごちゃごちゃ書いてはいるが、

要はどんな時も聖霊を思い出していられるかどうか、

ということなのだ。


〝赦すのだ。〟

〝全部聖霊に委ねきろう。〟

〝わたしには分かりません、聖霊お願いしまーす。〟

〝兄弟は何もしていない、世界はない。〟

〝エゴは実在しない。自分は騙されているのだ。〟

などなど…。


しかし、日常生活で、そんなことを24時間、

唱え続けてられない。(やってたけど…。)


なので、まずはただ、

「僕は今、聖霊を思い出しています。以上!」でいい。

聖霊を思い出している〝感じ〟と共に過ごすのだ。

この肉体の自分が聖霊を思い出している、

ということは、決断の主体が聖霊を選んでいる、

ということでもある。

まずは、そこに留まり続ける。