少しばかりの小説を書くことを除いてずっと寝ていた。
何でこんなに眠れるのだろう、というくらい寝る。
夜10時くらいから眠って、朝3時くらいに起きる。
また5時くらいから眠り、同日の午後4時に目醒める。
それでまた10時から寝て、とまあそんな感じだった。
寝ている間におかしな夢をたくさん見たが、
その中でも、とびっきり記憶に残っている夢は…。
僕が部屋にいると、突然、アラブ人の男たち数人が、
拳銃やナイフを持って押し入ってきて、
ものすごく怖い顔つきで「金玉を出せ!」と言う。
僕は、金ならいくらでも出すから金玉だけは…、
と男たちに懇願する。すると男のひとりが、
僕の股間にナイフを突き立て金玉を切り裂こうとした。
究極の恐怖の中、やっと聖霊を思い出した僕が、
思わず「聖霊兄貴い〜!」と大声を上げた途端、
男たちがすっくと立ち上がり、ものすごい形相で
僕を罵りはじめた。
「おまえ、思い出すのが遅いんだよ!」
「なに途中から叫んでんだよ。
初めっから思い出してないと、意味ねーんだよ!」
「ビビってる時点で、お前、もうアウトなんだよ!」
「またやり直しじゃねーか。面倒くせー!」
それでもまだ内容がよく呑み込めてない僕が、
「でもイスラムの人は聖霊ではなくて、
アラーの神とかじゃないんでしょうか。」
と訳のわからないことを口走っていると、
「うるせーよ。」「だまれ!」「ふざけんな!」と、
ボンボン蹴りを入れられてるところで目覚める、
とまあ、こんな感じの夢だった。
アラブの格好をしてるのに、
なぜか言葉使いがバリバリ新宿歌舞伎町だった。
↑タクシーの中から鳳凰を感じて見上げた空。
というわけで、月曜の今日は少しボーっとしている。
そして昼休み、ついにゲイリーの三冊目を読破した。
以前、なんで悟った人は子供を産まないのだろう、
というようなことを書いたことがあるが、これに関して、
ゲイリーの三冊目の中でパーサが、
「最後の生や、最後から二番目の生を送る人に、
子供がいないのは珍しいことではない。」
と述べているのを読み、なるほどな、と納得できた。
なんでも、最後の生ともなると、
もう別の身体を創る誘惑がなくなる、ということらしい。
ただ、子供を持つと悟れないということではなく、
その絡み合った赦しの連鎖に組み入れられることを、
どう用いるのかが肝心なのだ、とパーサは述べていた。
というのも、なぜか僕は、20代の頃から、
〝自分の子供だけは持ってはいけない。〟
〝子供を作ったら一巻の終わりだ。〟
という強迫観念めいたものに終始付き纏われていた。
恋愛に於ても、子供のいる幸せな家庭を望む女性を、
自然と敬遠する傾向があった、。
↓子供を持たないマスターたちの過去ログ↓アンニュイな午後 - 香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる
誤解を避けるために言明しておくと、
子供を持たない人は今回で終われる、
また、子供を持っている人は今回では終われない、
ということを言いたいのでは決してない。
ただ、僕の場合〝絡み合った赦しの連鎖〟に、
これ以上組み込まれるのはもうたくさんだ、
絶対に夢から脱出するのだ、という強い意志が、
ずっと以前からどこかで働いていたのだ、
ということが解かって少しほっとした、
というか、救われた気がしたのだ。
なぜなら、
「生み続けなさい。そして、生まれ続けなさい。
子孫を残せない人間は半人前の役立たずだ。
とにかく生命を繰り返せ!循環を止めるな!」
というエゴの強制指令のもとに動かされている世界で
子供を持たないことは死にも値する罪であり、
極刑を意味する。
親から「孫の顔」という言葉を聞くたび、
職場で「お子さんは?」と聞かれるたび、
どこかに後ろめたさと罪悪感を抱えながら生きていた。
決して、大げさではない。
わりと自由な家庭環境で育った、
男の僕でさえこうなのだから、
これが女性だと、もっと大変なのではないか
と推測する。
もうとっくに赦せていたと思っていたその罪悪感が、
パーサの一言で、ぱぱぱ、と湧き出てきたかと思うと、
さささ、と一掃され、思わず、小躍りしたくなった。