香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

Jがいっぱい


↑出張帰り、フェリーターミナルから見た夕空

先週の土日は、

少しばかりの小説を書くことを除いてずっと寝ていた。

何でこんなに眠れるのだろう、というくらい寝る。

夜10時くらいから眠って、朝3時くらいに起きる。

また5時くらいから眠り、同日の午後4時に目醒める。

それでまた10時から寝て、とまあそんな感じだった。


寝ている間におかしな夢をたくさん見たが、

その中でも、とびっきり記憶に残っている夢は…。


僕が部屋にいると、突然、アラブ人の男たち数人が、

拳銃やナイフを持って押し入ってきて、

ものすごく怖い顔つきで「金玉を出せ!」と言う。

僕は、金ならいくらでも出すから金玉だけは…、

と男たちに懇願する。すると男のひとりが、

僕の股間にナイフを突き立て金玉を切り裂こうとした。

究極の恐怖の中、やっと聖霊を思い出した僕が、

思わず「聖霊兄貴い〜!」と大声を上げた途端、

男たちがすっくと立ち上がり、ものすごい形相で

僕を罵りはじめた。


「おまえ、思い出すのが遅いんだよ!」

「なに途中から叫んでんだよ。

 初めっから思い出してないと、意味ねーんだよ!」

「ビビってる時点で、お前、もうアウトなんだよ!」

「またやり直しじゃねーか。面倒くせー!」


それでもまだ内容がよく呑み込めてない僕が、

「でもイスラムの人は聖霊ではなくて、

 アラーの神とかじゃないんでしょうか。」

と訳のわからないことを口走っていると、

「うるせーよ。」「だまれ!」「ふざけんな!」と、

ボンボン蹴りを入れられてるところで目覚める、

とまあ、こんな感じの夢だった。

アラブの格好をしてるのに、

なぜか言葉使いがバリバリ新宿歌舞伎町だった。


↑タクシーの中から鳳凰を感じて見上げた空。
というわけで、月曜の今日は少しボーっとしている。

そして昼休み、ついにゲイリーの三冊目を読破した。


以前、なんで悟った人は子供を産まないのだろう、

というようなことを書いたことがあるが、これに関して、

ゲイリーの三冊目の中でパーサが、

「最後の生や、最後から二番目の生を送る人に、

 子供がいないのは珍しいことではない。」

と述べているのを読み、なるほどな、と納得できた。

なんでも、最後の生ともなると、

もう別の身体を創る誘惑がなくなる、ということらしい。

ただ、子供を持つと悟れないということではなく、

その絡み合った赦しの連鎖に組み入れられることを、

どう用いるのかが肝心なのだ、とパーサは述べていた。


というのも、なぜか僕は、20代の頃から、

〝自分の子供だけは持ってはいけない。〟

〝子供を作ったら一巻の終わりだ。〟

という強迫観念めいたものに終始付き纏われていた。

恋愛に於ても、子供のいる幸せな家庭を望む女性を、

自然と敬遠する傾向があった、。

↓子供を持たないマスターたちの過去ログ↓アンニュイな午後 - 香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

誤解を避けるために言明しておくと、

子供を持たない人は今回で終われる、

また、子供を持っている人は今回では終われない、

ということを言いたいのでは決してない。


ただ、僕の場合〝絡み合った赦しの連鎖〟に、

これ以上組み込まれるのはもうたくさんだ、

絶対に夢から脱出するのだ、という強い意志が、

ずっと以前からどこかで働いていたのだ、

ということが解かって少しほっとした、

というか、救われた気がしたのだ。


なぜなら、

「生み続けなさい。そして、生まれ続けなさい。

 子孫を残せない人間は半人前の役立たずだ。

 とにかく生命を繰り返せ!循環を止めるな!」

というエゴの強制指令のもとに動かされている世界で

子供を持たないことは死にも値する罪であり、

極刑を意味する。

親から「孫の顔」という言葉を聞くたび、

職場で「お子さんは?」と聞かれるたび、

どこかに後ろめたさと罪悪感を抱えながら生きていた。

決して、大げさではない。

わりと自由な家庭環境で育った、

男の僕でさえこうなのだから、

これが女性だと、もっと大変なのではないか

と推測する。


もうとっくに赦せていたと思っていたその罪悪感が、

パーサの一言で、ぱぱぱ、と湧き出てきたかと思うと、

さささ、と一掃され、思わず、小躍りしたくなった。