香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ふぁちゃんの動揺 (改稿版)


(ちょっと、文章を加筆訂正いたしました。)

今日、香港博覧会場で開催されている

〝電子産品展覧会〟に行って来た。

香港事務所は貿易会社のライセンスもあるので、

新しい商売を探そうと、スタッフ全員で手分けし、

色々な展覧会に行くことになったのだ。


それにしても、展覧会なんて本当に久しぶりだ。

怪しいハノイの宝石商、佐藤氏に連れられ、

ジュエリー展覧会に行って以来である。

それでもこういう大規模な商業展覧会って、

一種独特のお祭りみたいな高揚感が漂っていて、

会場を歩いているだけでもワクワクしてくる。

超ミニスカのお姉さんたちが、

プラカードを手にあちこち歩き回っていたり、

おへそを出したダンサーたちが、

通路でサンバを踊ってたりする。

ブースを出している企業の営業マンたちも、

新しい顧客を獲得しようと、

大声で呼び込みをしたりして、熱気に満ちている。

それで、今回面白いなと思った商品が、コレ。

ソーラーパネルを製造している会社が出していた、

カップの蓋に超ミニソーラーパネルを取り付けた、

充電式〝ソーラー電燈カップ〟だ。

太陽光充電だけで、約12時間使用でき、

電燈の熱で保温もできるのだという。

この他にも、PCやケータイ、どんな物でも充電できる、

20㎝ほどの携帯式ソーラーパネルも出店しており、

内戦で電気の供給が不安定な中東のバイヤーたちが、

こぞって商談をしていた。


その他にも、

手で持たずにタブレットが見れる器具とか、

屋根の上など、ちょっとした隙間をチェックする

直径5cmほどの超小型パトロール用ドローン等もあり、

なかなか面白かった。


↑お姉さんに写真をお願いしたら、
 モデルになってくれた。

というわけで、

今日はただ聖霊と一緒に過ごすだけの1日となった。

もちろん、外側では何も起こっていなくても、

心の中では〝ふっ〟と上がってくる過去の記憶から、

勝手に物語を偽造し、気がつけば、

相手をばんばんやっつけていた、

みたいな妄想は絶えず起こっているのだが、

なんというか、

もう完全に騙されていると解かっていて、

これは自分とは何の関係のないものだと知っている。

なので、出てきたら冷静に兄貴を選びなおすし、

最後は兄貴の訂正を受入れるだけだ、

という気構えができる。


最近、奇妙な反転が起こり始めている。

この空間世界が自分の心の中で、

心の中が外界のような感覚。

本当は、広大な宇宙空間などなく、

世界は縦軸に重叠したすべての次元の、

一番手前に現れているタブの一面でしかない。

それを見て、なんか、脱力。

そう言えば、昨日、

深圳工場の清算手続きを担当している

会計事務所の会計士から、

清算報告書の作成費用として、

25,000元(約40万円)を支払ってほしいと言われた。

しかし、正式な領収書は出せないという。


ピーンときた。

ふぁちゃんに問いただすと、彼女の様子がおかしい。

どうやら〝袖の下〟と言うことらしい。

ふぁちゃんの後ろめたそうな動揺ぶりを見て、

多分、彼女もキックバックをもらうのだろう、

と推察した。

この40万円は皆で山分け、となるのだ。

中国では〝暗黙の常識〟となっている。


しばし、目を閉じ、聖霊兄貴を思い出す。


本人にズバリ指摘するようなことはしなかったが、

もらったお金は数カ月で消えてしまっても、

そのために実在化される無意識の罪悪感は、

次の〝生〟に計り知れないほどの影響を及ぼす、

みたいなことを、ゲイリー三部作とエッグハルトを

読破しているふぁちゃんに告げると、

彼女はさらに動揺しだした。


結局、この25,000元は会計事務所に支払った。

少し時間はかかったが、後に起こる幻想は赦した。

彼らは何もしていないがゆえに赦されている。

そして、これが起きていると思い込んでいる世界は、

自分の心の中だ。


よく、赦すときに、

自分や相手が罪悪感を持つような、

エゴっぽいことは言ってはいけない、

と思っている人がいるが、外部投影型の僕は、

我慢せずに普通に表現することが多い。

だって、言わないだけで、思ってたら一緒じゃん。


「愛してる」と「嫌い」という言葉の間に、

差異はないと思っているし、口に出したからといって、

必ずしもエゴを実在化させたことにはならない。

なぜならこの思いは自分のものではない。

なので、たとえふぁちゃんに、

「おまえ、袖の下もらってるだろう。」

と言ったとしても、それは赦しとは何の関係もない。


ただ、ちゃんと聖霊は思い出すようにはしている。

そして、出てきた罪悪感の方を赦す。

たとえケンカをしてしまったとしても関係ない。

思い出した時に赦すのは、結局、

〝ふっ〟と立ち上ってくる罪悪感だけであり、

それは、どれでもただ一つのびゅんびゅん。


いつでもいま、どこでもここ、

だれでもわたし、そして、どれでもこれ…。