香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

コースをやってるんだが、オレはもう終わるかもしれない


↑ハノイの宝石商佐藤氏から指輪が送られてきた。
 が、指に入らないっ…。太ったから…。くううっ!

一時帰国休暇が明け、3日(水曜)から社会復帰した。

まだ、なんだかフワフワ夢の中にいるみたいで、

頭がなかなか仕事モードにならず、

北京語や広東語もスムーズに出てこない。

それでも、

帰国前より、聖霊兄貴に深く繋がっており、何より

「私は聖なる神の子です。」の自覚が深まりつつある。


例えば、

会社の人と、細かい業務上の話をしている最中でも、

これまでは、すぐに没入状態だったのに、

聖霊兄貴を保っていられるようになった。

また、通勤電車に乗っているときでも、常に、

今ここが完璧な場所であり時間であると、

「いつでも今、どこでもここ、誰でも私、どれでもこれ」

を自覚するようになってきた。


と、そんな兄貴との幸せな時間を過ごしていたとき、

新たな赦しのレッスンがやってきた。

日本から送った小包の中に、100均で大量買いした

老眼鏡の束が入っていなかったため、

実家に置き忘れていないか電話を掛けてみたが

誰も応答せず、近所に住む妹にLINEで、

「老眼鏡実家に忘れたみたい。お母さんそっちに

行ってへん?」と訊いてみた。

すると妹から、

「お母さん来てへんよ。って、その老眼鏡どうすんの?

また送るってなったらお母さん大変ちゃうん?

今度帰って来た時でええんちゃうん?」

と、畳みかけるようなメールが来た。

とりあえず僕は、あるかどうか確かめたかっただけや

とだけ返し、そこでやり取りは終了したのだが、

そこからがもう、出てくる出てくる。妄想まつり!


「お前(妹のこと)のほうこそ、

母親に子守させて買い物とか行ってるやないか。

そっちの方がよっぽど大変やろ!」

という批判から始まり、果ては、両親が死んだ後の

遺産分与で妹と揉めている物語がはじまり、

そこで、妹は、家や土地、現預金、すべてを独り占め

しようと企んでいる、ものすごい強欲女になっていた。

そこから、財産分与(と言っても小さな家と土地くらい)

を巡ってこっちも大阪で一番の敏腕弁護士を立て…と、

猛烈な憎悪物語がリピートリピートリピートしていた。


この時、僕は、香港の自宅の居間にいたのだが、

こういう分かりやすい赦しのレッスンの場合は、

赦す前に、しばらく思い切り〝出るに任せる〟

ようにしている。


妹と遺産や形見分けで言い争っている場面を妄想し、

相手の言動を激しく非難している自分。

そこから生じる、毒素のような気持ち悪さ、

みぞおちのびゅんびゅんする感じをじっと観察する。


そうやって、妄想劇場をしばらく続けていると、

「ここが幻想だと真に確信しているか。」

という聖霊兄貴の声が聞こえてきた。


そのとき、思った。

俺って、両親の遺産なんて本当に欲しいのだろうか。

自分には罪がないと思い込むために、

妹を罪人にしたいだけではないのか。

妹に罪をなすりつけ、肉体の妹を抹殺させることで、

自分の自我の生き残りを図る。


そんなことに、いったい何の意味があるのか?

馬鹿みたい。


その瞬間、聖霊兄貴が復帰し、

自分はすでに天国にいる聖なる神の子なのだ、

という自覚が戻った。


間違いはすでに聖霊によって訂正されている。

それを受け入れ、神の子をこの世界へ延長させる。

〝エゴなんて元々ないんだもん!〟

と言い聞かせるような延長ではない。

〝天国から離れた〟という勘違いはもうないことを、

その都度現れてくるエゴにそっと教える。


それから半日ほどして、他人の遺産なんて要らない、

ぜんぶ妹にやってもオーケー、と心底思えた。

嘘ではない。本当だ。いまのところ…。(←おーい!)


まあ、実際、そういうときが来たら、

自然な流れで受け取ることがあるかもしれないが、

骨肉の争い、なんてありえない。

僕が投影している妹は、すでにいなくなっている。

ていうか、よく考えてみると、上記の物語は、

もとから、100%、僕の妄想に過ぎないのだった。

妹はただ、LINEで、

「老眼鏡は今度実家に帰った時に持って帰ったら?」

と書いただけだった。 爆笑…!


夕方、母に電話をした。

やはり、老眼鏡は実家にあった。

すぐに送ってくれるということで一件落着。


老眼鏡置き忘れ事件から、

微々たる親の遺産相続争いにまで妄想を発展させ、

それでも最後は、その妄想を使って、僕に、

心の中の罪悪感を発見させ赦させた聖霊兄貴、

ごっつぁんです!

少なくとも、将来あったであろうシナリオ、

前世でずっと繰り返してきた骨肉シナリオは、

完全に削除されたと思うから…。(笑)

そうして夜になり、

日本映画専門チャンネルで、小池徹平主演の

『ブラック企業に勤めてるんだが、

オレはもう、限界かもしれない』

という映画を見ていたとき、

リビングにある全ての家具が一斉に愛を放ち始めた。

あらゆる家具が微笑んでいるように見える。

比喩ではない。

本当に家具が微笑んでいるのだ。


赦しをやってるんだが、

オレはもう終わるかもしれない、と、

一瞬思った。