↑来週泊まる浦江飯店。このレトロ感がいい。
久々の佛山一泊出張である。
最近は、佛山以外の出張がなくなり、本当に助かる、
と思っていたら17日から上海出張が入ってしまった。
またあの首席公館ホテルに泊まろうと、
予約サイトを見てみたら、一泊4万5千円!
モラー邸も一泊1万8千円もする。とても無理だ。
他に安くて上海レトロなホテルはないかと探したら、
浦江飯店があった。9千円だって。よかった。
そうやって、
ホテルを選びまくっておいて言うのもなんであるが、
様々なモノや事に対する差異が消滅し始めている。
場所、時間、食物、仕事、人、状況、など、
日常生活の中で、何かをしようと考えたり、
どこかへ行こうと思ったり、または、
何かを選ぼうとしたりするとき、全てにおいて、
別にこれでなくてもいいじゃん、と思えてしまうのだ。
例えば、仕事を始めたばかりの頃の自分だったら、
「週末までまだ3日もあるよ。」とか、
「まだ3時だよ。退社時間まで3時間もあるよ。」と、
勤務時間とそれ以外の時間を分けて捉えていた。
勤務時間中は偽の自分で、退勤後が本当の自分、
みたいな…。(笑)
それが、最近、
ただ、やることと、いる場所が違うだけで、
月曜と土曜の間に何の差があるんだろう、と思える。
また、オフィスにいるのと家にいるのとでは、
仕事をしているか、テレビを見ているかの違いだけで
その二つの事象にに、一体どんな優劣があるのか、
と思えてくるのだ。
また、人に対してもそうだ。
例えば、僕が東京の本社に出張していたとして、
今晩、
兄弟てっちゃんと晩飯を食うことになっているとする。
しかし、突然、コンババ管理部長との会議が入った。
普通なら〝チェッ〟となるところだが、
てっちゃんと晩飯か、管理部長と会議、のあいだに、
何の違いもないように感じてしまう。
いま、夜の8時で、佛山出張からの帰りのフェリー
の中でこの文章を書いているのだが、
早く家に帰りたい、と普通の思考が出てきた途端、
でも、なんで家に帰るのがよくて、
フェリーの中にいることがだめなんだろう。
どちらでも、そこに僕がいるだけじゃん、みたいな、
なんとも言葉で表現できないフラット感が出てくる。
だからと言って、いま、
どこにいても、誰といてもいいか、
といえばそうでもなく、それなりに選択はする。
かといって、どこにいるからイヤ、とか、
誰といるからイヤ、というのもない。
変な感じ。
以前なら、
絶対に一緒にいたくないと思っていたような人でも、
まあ、特にこちらから望みはしないが、たまたま
何かの拍子で一緒に過ごすことになったとしたら、
それはそれで普通に楽しく過ごせる。
なんで、ここ数日で、
こんな〝無差異感覚〟に陥ったのかは分からないが、
聖霊兄貴を思い出していないときを作らない、
神の子の自覚を忘れているときを作らない、
と訓練していたので、こうなったのかも…。
でもまあ、あまり頭で考えず、
兄貴に委ね切ってゆったりこの週末を過ごすことにする。