香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

言えばいいじゃん!


↑築地丼。これがたったの900円なんて。
 香港だったら3000円はするよ。


香港の気温は18度、秋晴れである。

今日は日曜日なので、上沼恵美子の『クギズケ!』

を見ながら、リビングのソファでまったり過ごした。

また、ハノイの怪しい宝石商佐藤氏が送ってきた指輪が、

入らなかったことにショックを受け、

いま1日1食、それも、麺類、ご飯類、パン類、雑穀

を摂らない低糖質ダイエットを開始した。

まだやりだして2週間だが、

指輪が入るようになり、顔も小さくなった。

BEFOREのお腹の写真も撮ったよ!

1か月後にご期待あれ!


というわけで、昨日、ある香港人の友人が、

僕の家を訪ねてきて帰ろうとしていた時、

僕が、何げなく、

「来週旅行に行くって言ってたけど、どこへ行くの?」

と問いかけた。

そのとき、なぜか彼は少し面倒くさそうに顔をしかめ、

「ああん?なに?」

と、つっけんどんな口調で聞き返してきた。

僕は、彼に、もう一度同じ質問をした。

すると今度は普通に、

「ああ、韓国だよ。寒くなる前に行こうと思って。」

と答えた。


僕は、

さっき彼が「ああん?なに?」と言った時に見せた、

不機嫌そうな表情にドキリとし、

同時に、不快感がじわじわ広がるのを感じた。

即座に僕は自分の内面に向かい、

わたしは聖なる神の子です、と聖霊を延長させながら

赦しを行なおうとした。でも何か気持ち悪い。それで、

「さっき、僕にすっごい嫌な顔したけど、なんで?」

と相手に直接訊いてみた。すると相手は、

「ああ。靴を履いてて、イヤホンをしてたから、

君の声がよく聞こえなかったんだ。ごめん。」と答え、

それじゃあ、と言って帰って行った。

その彼のひとことで、僕は救われ、赦しは完結した。


このとき、思った。

すべては自分の中で起きているだけじゃん、って。

しかしそれに気づき、心底腑に落ちてそう思えるには、

自分が感じていることを、

ちゃんと言葉で相手に伝えることが必要なのだと…。


↑てっちゃんたちと行ったイタ飯屋。

なんでこんな話をするかというと、

コース兄弟同士の学びの場で、

はっきりと自分や相手がやっていることを伝え、

互いの罪悪感を浮き上がらせてゆくことは、

非常に大きな赦しの加速をもたらす、と、

今回の日本里帰りの旅で実感したからだ。


これは僕の勝手な主観が入っているかもしれないが、

日本人は、西洋の人たちに比べて、どこか、

自分のことを話すのは恥、人のことを話すのは罪悪、

と思いがちだ。


よくしゃべる人より、無口な人のほうが思慮深い、

みたいな…。(笑)


今回、日本人のコース兄弟と話していても、

「なんで、さっきみんながいる時に言わなかったの?」

「あの人にちゃんと言えばそれですんだのに…。」

と思うような場面がよくあった。


僕は、普段、外国で一人で赦しを実践しているので、

今回のように、多くのコース兄弟たちが集まると、

もっと核心で話がしたいと思ってしまう。


全ては自分の投影なので、

赦すのは自分の内面だけだというスタンスのもと、

〝人の話は聞きたいが、自分が言うのはいや。〟

〝とりあえず質問形で会話しとけば、

 自分の意見を言わずに話の輪に入れる。〟

〝場の空気を読み、和を乱してはいけない。〟

的な会話をしても意味がないと感じてしまうのだ。


なので、せっかくコース兄弟が集ったのだから、

たとえ、一時ドロドロ状態になったとしても、

信頼できるコース兄弟同士であるからこそ、

一人ではできない微妙な赦しを、

シェアしたいと思ってしまうのだ。

なぜなら、

「ただ自分の中だけを見つめ赦せばいい。」

という赦しの中身をよくよく見てみると、

現実世界で自分は何もアクションを起こさずに、

ただ自分の中を赦すことで、

知らない間に相手や状況が変わってほしい、

という密かな〝願望〟が潜んでいたりする。

アンフィニ時代によくやっていた、

トイレの中で密かに統合した後、柱の陰から、

あの嫌な人、いなくなったかな、変わったかな、

とやっていた、アレだ。


「いやあ。それはないよ。わたしはそれはしてない。」

「自分にできるのは、聖霊に全てを委ね、

 聖霊の知覚で見させてくださいと祈ることであり、

 相手は変わっても変わらなくてもどちらでもいい。」


本当に心からそう思っていても、いやいやいやいや、

本音の本音の本音を見て行くと、答えはノーだ。

やってるって。


誰だって思う。

相手に対してなんらアクションを起こすことなく、

ただ、心の中で赦すだけで嫌な人がいなくなったり、

100%自分にとって〝よい人〟に変わってくれたら

どんなにいいかと…。

赦しをその手段としてしまう。

それで個の本人には何ら自覚のないままに、

幻想を終わらせるためではなく、

事件解決のための赦しにすり替えられていたりする。


だから、そういう微妙な部分までもをとらえるには、

やはり、コース兄弟の助けが必要になってくる。

ここまで来ると、自分ひとりでは無理だと思うのだ。


しかし、コース兄弟たちとのシェアのなかで、

そういうすり替えが起こっているよ、とシェアすると、

個の本人はそんなことを微塵も思っていないので、

たいていの場合、相手は不機嫌になり怒り出す。

それで、場は一瞬、どろどろとなる。

コースを実践していない人に対してはできなくても、

コース兄弟の間では、僕はそれでいいと思っている。

〝必ず互いを赦す〟という共通の信頼があるからだ。

それが、今回の一時帰国で僕が学んだことであり、

デイヴィッドが言う「相手を喜ばせない。」

ということになるのだと思う。


だから、コース兄弟とのシェアの中で、

相手について思っていることを本音で話すのは、

決してエゴではない、と思うのだ。


そして、きつい局面を表現することで赦すと、

必ず平安が増す。これは本当だ。

元来あるべきシナリオがごそっと消去されるから。

これは日々経験しているので保証できる。


眠い。もう寝よう。お休みなさい!