香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

嘘のように完璧な一日


↑人生で初めて焼いたハンバーグ。
 強火で3分焼いた後、水を入れて蒸し焼きにする。
 クックパットよ、ありがとう!

仕事を終え、地下鉄の車両に揺られながら、

考え事をする。

散髪行きたい。先週の出張の時に行けばよかった。

マイヤーズラム酒がなくなったから買わなきゃ。

もう秋だし、オフィスで着るベストが要るな。

てっちゃんちで飲んだあのワイン香港にないかなあ。

昨日テレビで見た、ジュクジュクの甘柿が食べたい。


これ以上でもこれ以下でもないことを、

いろいろと思い浮かべた後、

聖霊兄貴に委ねているうちに降りる駅に着いた。


すると、地下鉄を降りた途端、頭がボーっとして、

誰かに自動誘導されるみたいに改札を抜け、アピタの

ショッピングモールへと続くエスカレーターを上った。

もちろん、その間にもさまざまな思考が出てくる。

〝そっちじゃないだろ。バス停まで遠回りじゃないか〟

〝食料品はアピタではなくイオンの方が安いのに〟

〝甘柿を置いてる果物屋はそっちにはない〟

でも、そんな僕の思考とは裏腹に、体は動く。


やがて、アピタ(昔のUNI)に到着した。

夜ごはんの惣菜を探す。

しかし低糖質ダイエット中なので食材が限られる。

「黒毛和牛のハンバーグよ。おいしいわよ。」

マネキン販売のおばさんに勧められるまま試食する。

「冷凍ハンバーグなんて焼くのが面倒。」

という思考とは裏腹に、

気が付けばハンバーグをかごに入れていた。

この瞬間、ああ兄貴だ、と思った。

なので、もうなにも考えずにレジでお金を払い、

再度、ぶーらぶーら、気の向いた方へ歩いた。


そして、フロアの片隅に10分でカットだけしてくれる

ワンコイン理髪店のQBを発見した。

いつもはすごい行列なのに今日は誰も並んでない。

ラッキー、と思い、早速散髪をしてもらった。

「サイドはもう少し薄く刈り上げますか?」「はい。」

「前髪も少し修正しましょうか。」「お願いします。」

「刈り上げの分け目をはっきりつけますか。」「はい。」

もう理髪師のお兄さんに委ねきる。


散髪を終え、本当は地下を通った方が早いのに、

ぶらぶらとなぜかモールの最上階まで上がった。

あるショップで毛糸のベストが売られていた。

これならオフィスのエアコンの寒さにも耐えられる。

1000円だし、すぐに購入した。


↑目玉焼きを載せるとオシャレだと
 クックパットに書いてあった。かなり微妙…。
 全然オシャレじゃない。でも、ちょっとかわいい。

そのままモールの外へ出て、坂道を下りながら

バス停へと向かう。

途中、リヤカーで果物を売るおばさんがいて、

見れば甘柿を売っているではないか。5個で220円。

ひと盛りを指さすと、おばさんが大きな声で、

「こっちの方が甘いから、こっちにしときな。」と、

別のひと盛りを薦め、僕は 「じゃあ、それで。」

と言って、そのひと盛りを袋に入れてもらった。

それから、なんて効率の悪いルートなんだよ、

とツッコミをいれつつ、テクテクとイオンモールまで

歩き、1階の食料品フロアを抜ける。

途中、新装開店の大きな酒屋があり、見てみると、

マイヤーズラムが置いてあるではないか。

ラムのボトルをレジへもってゆくと、

ワイン売りのおばさんが寄ってきて、

「お兄さん。南アメリカのワインフェアをしてるの。」

と言うのでわざわざレジを離れて見に行ったら、

なんと、てっちゃんちで飲んだあのワインがある!

そうやって、買い物を終え、

バス停に着いたと同時にバスがやってきた。

そんな馬鹿な。かなり盛って書いてるだろう、

と言われそうだが、嘘ではない。本当である。


そして、気づいた。

ああ、そうか。聖霊に委ねきる、ということは、

こういうことなんだ、と…。

次々と目の前に現れてくる全ての兄弟や物事に、

委ねきる。要するに、

聖霊に委ねるとは、兄弟に委ねきることなのだ。


聖霊に委ねきって兄弟を見るのではなかった。

すでに眼前にいる人や物が聖霊なのだ。

だから、いま眼前にいる人に任せていい。


当然、その時々に現れる兄弟や物事から、

ひどい仕打ちを受けることもあるだろう。

それでも、自分が持っていた罪悪感を見せてくれた

兄弟や環境に委ねきる。

世界側に委ねていると、たとえ殴られても、

兄弟は自分を傷つけていないことが分かってくる。


でも、この感覚、なんというのだろう。

兄弟を神の子として見るとか、

兄弟に対して何でもイエスと言うとか、

感謝や愛で観るとか、そんなことではない。

また、聖霊が延長されて、とか、

聖霊の知覚で世界を観る、とか、

聖霊の判断に任せる、と言ったような、

やり方的な感じでもなく、ましてや、

原理を理解するということでは、なおさらない。


エッグタルトは、


〝あらゆる災難や、

 周囲に不幸を振りまいて歩いているような人は、

 その内に慈愛の種が託されているのです。〟


と言っているが、この意味が体感として分かった。


明日は上海。

今夜は早く寝よっと。