香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

これぜんぶウソなんです


↑ 工場の夕暮れ
先月、日本から戻ってからというもの、

コース本も含め、スピ本を殆ど読まなくなっている。

そういえば、

YOUTUBEでスピ動画を探すこともなくなり、

同じスピ仲間たちと集いたい、とも思わなくなった。

スピ仲間と仕事仲間、或いは、セドナと香港の間に、

一体どんな差異があるのだろう、と思うと、

特別な人や場所との関係性にこだわらなくなった。


これは、鶏が先か卵が先か、という話になるのだが、

そういう〝外にあるもの〟から離れれば離れるほど、

自分の中の聖性(神の子または聖霊)の部分から、

自動的に様々な情報や手配が入ってくることを、

最近、とみに感じ始めている。


僕達が色々なスピの情報を得ようとしたり、

講演会に参加したりするその動機の根底には、

自分の中に在る〝聖なる何か〟に繋がりたい、

という強い願望がある。


真実を知りたい、デイヴィッドのようになりたい、

と思って本を読んだり、実践したりするのだが、

どこまで行っても、探求だけが続く。

いつの間にか、何か問題が発生するごとに、

あの本にはどう書いてあったかな、とか、

デイヴィッドはこう言っていた、と、

相手の中に真実を探そうとするようになる。

『神の使者』に出てくるアーテンやパーサ

が言っていることは信じられても、

自分からでた思いや考えには自信がなく、

どこか品下るような気がして、納得感が持てない。

なにか神秘的な体験をしたら、聖霊の声を聞けたら、

実際にJが眼前に現われたら、それを体験した自分に

自信が持てる、と言うかもしれない。

それも結局、聖霊やJへと矢印は外側へ向っている。


やはり、自分が先手であるべきだ、と思うのだ。


これからも、いろんなスピ本は読むだろうし、

スピ動画も見るだろう。デイヴィッドも大好きだ。

また、己の信じる師匠に着いて、

学び続けるかもしれない。

しかし、やはり…。

あるところまで行ったら〝自立〟する必要がある。


こここへ来たのも聖霊の導きかも、とか、

これは自分に見せるために聖霊が仕組んだんだ、

という〝納得〟でもない。

この〝奥に在る自分〟だけに頼っていると、

眼前に展開されるすべての景色や出来事自体が

聖霊そのものとなるので、聖霊にやってもらった、

という、聖霊と自分を分ける考えには至らない、

ことに気づいた。


というわけで、現実世界での楽しみ、といったものが、

次から次へと消失してゆく今日この頃である。

食事へのこだわり、お酒、体を鍛えること、AKB48、

一応、低糖質ダイエットにかこつけて、

それなりのものは選んで食べるし、

ジムへも申し訳程度には通っているが、

なんていうか、うだうだで、気合が入ってない。


出張へ行っても夜の街を出歩かなくなり、

燃えるような恋も、もういいや、という感じだ。

辛うじて、文章を書くこと(毎日30分くらい)と、

ベトナム語の勉強(通勤電車で座れた時だけ)

は、なんとか続けているが、

いまに溶け込みながら道を歩いているときや、

赦した状態で仕事をしているときや、

ただ、ほけーっとしている時が一番平安で、楽しい。


あれっ? えっ?

と、ここまで書いてきて思った。

これって、ひょっとして…、

スピ的にどうのこうの、という問題ではなく、

ただ単に、僕がおじいさんになってきた、ってこと?

最近、朝4時くらいに目が覚めるし…。

夜中に起きてトイレへ行くし…。


ひ、ひえーっ、助けて!