香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

天国までの0.1秒



今日は香港事務所のみんなで忘年会をした。

チムサーチュイの日本居酒屋でワイワイガヤガヤ、

楽しく過ごした。

明日から日本本社と佛山工場は正月休みに入る。

香港は金曜まで出勤だが、みんな休みなので、

事務所でまったりすることにする。


また、

旧正月の日本一時帰国に小旅行を計画しているが、

尾道か佐渡島か青森か迷っている。

僕は関西なので、

九州や四国は行き慣れているということもあり、

できれば、日本海側の凍てつく田舎に行きたい。


↑低糖質ダイエット中なので、食べられない。
前回、赦しを実践する際の工夫として、

相手側に委ね切る、というような記事を書いたが、

これって具体的にどういう状態なのか、と、

その時の自分をようく観察してみたところ、

相手側に委ね切るとき、自分の意識が、

ほんの最初の一瞬だけ、強烈に相手側に在る、

すなわち、相手側からこちらを見る視点になっている

ということに気づいた。


僕の場合、

自分と相手が背中合わせになっているような感じで、

自分の背後側に相手の空間視野が見えている。

例えば、

会社の同僚と何か話す時や、隣人と挨拶をする時、

レストランの店員さんに料理を注文をする時や、

宅配便の人から荷物を受け取る時など、

自分の背後側から相手の空間側に回り込んで、

相手が見ている視野で空間を見る。

また、コーヒーカップ、スマホ、料理、衣服、など、

物体に接する際にも、モノ側からこちらを見ている

という意識になっている。

ただ、強烈に相手側に在るのは、相手と対峙した、

最初のほんの一瞬、大体0.1秒くらいの間だけだ。

この状態で一日過ごすのはいくらなんでも無理だ。


なんで、ほんの一瞬間、相手側に強烈に委ねると、

こんなにも周囲に変化が起きてくるのだろう、

また、それがなんで赦しとなるのだろう、と、

自分でやっていても不思議に思っていたのだが、

よく考えてみると、なんのことはない、

相手に投げつけて、私は関係ありませーん、と、

知らん顔をしていた〝運子ちゃん〟を、

相手側に立って認識することで削除されてゆく、

ということなのだ。


自分の〝運子ちゃん〟を、他者の中に隠し、

これで安心、見つかりっこない、とやっていた。

見るまではビクビクオドオドもんだったが、

それらの運子ちゃんを白日の下にさらすことで、

初めて、そんなものは元々無かったことが確認でき、

なあんだ、ただの煙幕だったんじゃないか、

と消えてゆかせることができる。


ただ、注意したいのは、必ず、背後から回り込んで、

他者側に入る、ということだ。

私側から向かい合う他者へと、

意識の矢印を前側に突き抜けさせてしまうと、

私が創った幻想の他者の中へ入ることになる。


そういう意味では、

あの人のイライラは自分のイライラであり、

よく女の子が連発する「あの人、臭い。」は、

結局、わたしの体臭を嗅いで言っているのである。


他者の世界は、常に背中合わせで、

後ろ側に広がっている。