いま、
ワイドショー好きな僕の心を鷲掴みにしているのが、
幸福の科学へ出家した清水富美加である。
「やっぱり、新車に乗りたーい!」
と駄々をこねるコスモ石油のあのCM、
すごく可愛らしくて、大好きだったのにぃ…。
4月に主演映画の公開を3本も控えていて、
契約期間も5月20日までということであれば、
5月20日まで仕事して辞めるのが普通なのだが、
その数か月でさえ待てないほどギリギリだった、
ということか。
朝の連続ドラマ『あまちゃん』で主演した能年玲奈も、
同じような感じで事務所を突然辞めているが、
やはり、まだ自分が確立されていない幼いうちから、
色んなキャラの役を演じ続けていると、しまいには、
どれが本当の自分なのか、誰を信じていいのか、
分からなくなってしまうのかもしれない。
それで、彼女が信じてしまったのが大川隆法だった。
まあ、そんなことを言えば、僕だって、
自分の中の〝聖霊兄貴〟を信じているわけで、
胡散臭い点では、僕も彼女と五十歩百歩である。
ただ、地上ユートピアの実現を目指す幸福の科学と、
そんなものはない、と世界を取り消すコースとでは、
外へ向かうか、うちへ向かうか、において、
進む方向は全く逆である。
どちらがいいかは別として、普通の人から見れば、
どちらもかなり怪しいと言える。
そして、
自分が信じていること(僕の場合は奇跡講座)
は100%真実ではない、
まだ突っ込みどころがあるんじゃないか、
と言う部分をどこかで持っていることって、
スピをやるうえで、とても大切だと思うのだ。
まあ、魑魅魍魎の渦巻く芸能界にあって、
女優としてこうあるべき、という〝正義〟よりも、
きっと彼女は彼女なりのやり方で、
〝平安〟への道を貫いたのだろう。
一般企業でも、重要なポストについていたりすると、
「いま、自分が抜けたら会社は大変なことになる。」
と思ったりしがちだが、なんのなんの…。
たとえ重要人物がごそっと大量抜けしたとしても、
案外、社会はそれなりに回ってゆくものである。
だから、彼女が抜けたとしても、
すぐに代役が現れ、また夢の世界は回ってゆく。
なので、誤解を恐れずに言うならば、
「わが子を守れるのは自分しかいない。」
「あの人は自分にとって唯一無二の存在だ。」
「これをやれるのは自分だけ。」など、
〝自分がいなければ…〟や〝あの人がいてこそ…〟
は、すべて幻想である。
本当は自分が守りたかったり、
かけがえのない存在でいたかったり、
自分だけの表現をしたい、
と思っていたいだけだったりする。
そこをちゃんと認め、赦し、開け放ってゆく。
そして、もうひとつ。
『とくダネ!』で富美加を見ていて浮かんだのが、
〝感謝〟という言葉だった。
もし、自分で自分が分からなくなったら、
誰を信用すればいいのか分からなくなったら、
何はともあれ〝感謝〟だ。
相手や起きている物事のどの部分に感謝すべきか、
ということに焦点を合わせる必要はないと思う。
自分自身が常に感謝を通して世界を見れているか、
ということに焦点を合わせながら、世界を見てみる。
そうすることで周囲が神に変わってゆく。
なぜなら、
感謝の波動は最もハートに近い感覚だと思うから…。
僕は最近、
何かの物事を実行しようか、すまいかと迷うとき、
また、ある事を相手に言うか言うまいかと迷うとき、
それを実際に行なっている自分を想像してみて、
わわわっ、とわけもなく有り難いような、
相手に手を合わせたくなるような、
感謝の感じが湧き上がってくるかどうかで判断する。
昨日も、僕が財務諸表の数字をチェックしている時、
近くでユイとケリーがおしゃべりを始めた。
昨日のバレンタインデーの事をあれこれ話している。
おかげでなかなか数字に集中できない。
一瞬、ちょっと静かに、と注意しようかな、と思ったが、
先日、日本の電車の中で、鞄を地面に置いていた
オッチャンに言った時のような〝暖かい感じ〟が、
全く湧いてこなかったので、これは聖霊ではない、と、
結局、何も言わずに、ただ赦した。
そんなとき、グッドタイミングで、
九州の才女K女史からLINEが入った。
感謝することについての内容だった。
『兄弟に対するあなたの感謝の念のみが、
私が望む唯一の贈り物である。』
『あなたが自分の兄弟に感謝の念を抱いているなら、
神が創造したものについて、
神に感謝していることになる。』
(『奇跡講座』 神からの報奨より)
おお、なんというシンクロ!
やはり、他者こそ赦すべき自分なのだ。