香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

防衛しなさい


↑家の近くに添加物なしのケーキで有名な
 シャトレーゼができた。日本直輸入だって。
 当分通ってしまうと思う。
 

金曜の午後、会社で加入している保険の更新のため、

ワンチャイにある日系の保険仲介会社を訪ねた。

本来なら、先方の方から訪ねてくるのが筋なのだが、

金曜の午後でもあり、こちらには早めに事務所を出て

直帰したいという魂胆もあったので、

わざわざ午後4時半にアポを入れ、

半ば無理やり押しかけるように訪問したわけである。


それにこの会社は、現在会社で加入している

オールリスク保険や貨物保険などの様々な保険に対し、

複数の保険会社の中から、最も安くて保障の良い

ものをセレクトして提案してくれるので、

いちいち見積りを取る手間が省け、助かっている。


駐在員の僕も、会社の福利規定により、

アパートの火災保険と盗難保険、そして、

海外傷害保険に加入してもらっている。

だが、僕の場合、23年間の香港生活の中で、

たまーに風邪で医者に行くか、歯医者に行く以外、

保険を使ったことは一度もない。

と、このとき、

これまで保険を使わねばならないような、

大きな出来事に遭遇せずに済んでいるのは、

ひょっとして、保険に入っているからではないのか、

と、ふと思った。


保険に入ることで、

「ああ、これで何が起きても安心!」と、言わば、

聖霊を信頼している時と同じ様な作用が生み出され、

一時的に、意識が平安な状態に変化した結果、

不安や恐怖から来る投影が取り消されたのではないか、

と考えたのだ。


まあ、お分かりだろうが、だからといって、

みんな保険に入りましょうと宣伝したいのではない。

保険は薬物と同様、偽装された平安に過ぎない。

いつかは不安が追いつき、保険の効力を上回る。


要するに、

心が真に平安であるかどうかが〝カギ〟なのだ。

ただし、真の平安は、個の自分では成し得ない。

なので、

今、自分がどんなに不安でびゅんびゅんしていても、

正義からくる怒りで他人を攻撃していたとしても、

個の自分はただ〝いま〟やっていることを認識し、

兄貴を信頼して、大の字で放り出すこと以外、

成す術はなく、あとの事後処理は、

アフラック兄貴に任せるしかない。


↑こんなことをしていてはだめなのだ!
 長年の努力が元の木阿弥になってしまうのだ!

そんな中、最近香港では、労災保険を悪用した、

虚偽の労災休暇を申請する社員が急増している、と、

訪ねた保険仲介会社の総経理が話してくれた。


香港では、業務が原因で病気や怪我をし、

それが労災であると認定された場合、

会社は、その社員の休養中の給料の5分の4を

保証しなければならない。

それに伴い、全ての企業に、労災保険への加入も

義務付けられている。


もちろん、本当に労災であるのなら問題はない。

しかし、その法律を悪用して、

何の異常もないのに医師に診断書を書いてもらい、

弁護士から労災認定を受けた後、労災申請をする。

そして、労工暑が労災を認定すると、

給料をもらいながら会社を休める。

そして、復帰期限が近付くと、

再び診断書を会社に提出し、休養期間を延長する。

そうやって、2年、3年と、

給料を受給しながら休み続ける、というものだ。


最近では、

労災の診断書を書いてもらいやすい医者や、

労災認定を専門にしている弁護士などもいて、

社会問題になっている。


こういった、偽装労災保険で休養する人の多くは、

パソコンの見過ぎで頭痛になったとか、

重い荷物を運んで腰痛になった、など、

客観的に病状を数値化しにくい症状で申請してくる。

特に、年配の事務員さんや倉庫作業員、配達員や、

労災保険そのものを売っていてやり方を熟知している

保険会社の社員などに悪用する人が多いらしい。


実は、ここの保険仲介会社の事務員さんも、

パソコンの打ちすぎで指が痺れた、と言って、

労災申請をして1年ほど休んでいたらしいが、

休業中に海外旅行に行きまくっていたのがばれ、

話し合いの結果、自主退職願ったのだという。


また、会社で一人こういうことをする人が出ると、

他の人たちも連鎖的に真似をし始めるため、

大手日系運送会社などは頭を痛めているらしい。


でも、思う。

この他にも、不正に生活保護をもらったりとか、

一見、働かずしてお金がもらえ、

得しているように見えるけれど、本当はこれって、

自分で自分の魂の尊厳を傷つけているのではないか。

きっと心の深い所では罪悪感と焦燥感で一杯のはずだ。

美味い物は食べたいが代価は払いたくない。

しかし、永遠タダ食いをして逃げ切るのは不可能だ、

と、心の深い部分ではわかっている。

それは、神からの処罰を恐れ、

延々神から逃げ続けようとする行為にも似て、地獄だ。

そのために、常に警戒し、気を張り、

2重3重に防御の幕を張り巡らせることになる。


帰宅途中の電車の中で、

外へ追いやった自分の別人格の物語を見つめ、赦す。

自分が家の外(肉体の外)へ投げつけた運子ちゃんを、

他者の中に見て、それを嫌悪している自分を観る。

自分の代わりに運子ちゃんを被り、

偽装休暇を取る兄弟を演じている兄弟を、

敵ではなく、友として見る。

彼らは僕が追いやった別人格であり、

神から逃げきろうとしているのは僕なのだ。

しかし、

もう、僕たちは罪などなかったことを知っている。

ビッグバンの分離も幻想だったことも知っている。

あとは、少しずつ少しずつ、正気に戻ってゆく。


「もっと、もっと、防衛しなさい。

 うまい手を考えて守らなければ、地獄行きだぞ!

 ほうら、みんな、同じことをやってるだろ。

 損をするぞ!損をしたら、えらい目にあうぞ!」


エゴは囁く。

よい子の僕たちは恐怖に縮み上がる。


が、ちょっと待った!僕たちは騙されている。

自分は天国に住む神の子である。

防衛なんて必要ない。

防衛しないことで正気に戻るのだ。

肉体は自分ではなく、肉体の死も死ではない。