香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

否認と投影

今日は土曜日。

とうとう、裏の森で蝉が鳴き始めた。

ああ、今年も香港の夏がやってきたのだ。

今日はなぜか早朝6時に目が覚めたので、

久々にジムで筋トレをすることにした。


ジムへ行くのは3週間ぶりだ。

先ずは60キロのバーベルでベンチプレスをする。

案外イケたので80キロに挑戦したら無理だった。

それから、たっぷり時間をかけて肩と腕を鍛えてゆく。

そして最後は、ヴィパッサナー瞑想で締めくくった。

久々だったからか、

肉体の部位のスキャンに、イマイチ身が入らない。

それでも、

細胞の隙間に溜まっていた投影前の想いのカスが、

わんさかと湧き出てくる。

それを全部、男摩(聖霊)に渡してゆく。


『奇跡の原理』の中に次のような文章がある。


〝私たちが、罪深い自分を感じる事を避けるために

 やっているのが〝否認〟と〝投影〟です。

 私達は初めに、

 罪深い自分こそがまさに自分の在り方だと信じ、

 その後で、それは自分ではない、

 というふりをしています。

 そして、私達はそのことから隠れようとして、

 その周りに無意識というマントを掛け、

 それを外に投影してしまいます。

 そして最後には、罪悪感の暗い汚点を、

 自分の中に見ることがなくなります。

 それを他者の中に見て、

 それを理由に他人を攻撃します。〟


ひょっとして、否認された罪悪感は、

肉体の中に隠れているのではないか、と、

ヴィ瞑想をしながら思った。

なので、ヴィ瞑想で肉体を隅々まで観察することは、

隠れている罪悪感を観察するのと同じ作用があり、

そうして、

見られたエゴが男摩(聖霊)に吸い取られ、

次々に修正されていっている、ということなのだ。


また、細胞の奥に溜まった罪悪感が

外に投影されれば、他者への攻撃となって顕われ、

内に投影されれば、病気となって顕われる。

そういう意味で、

肉体なんて幻想です。そんなのありません。チョン!

と、一概に断じることはできない。

僕たちは肉体を使って帰還してゆくのだ。

また、隠蔽された罪悪感って、ヴィ瞑想だけでなく、

コース兄弟たちとのシェアによっても探知できる。


今回、鹿児島でコース兄弟たちと過ごした中で、

その時々で上がってきた〝エゴの想い〟を、

言葉に出して正直にシェアしてみると、

自分一人でやっている時よりも確実に、

即行で兄貴に渡されてゆく感覚があった。


エゴは見られると消えるという習性がある。

まあ、もとから無いのであるから、当然ではある。

なので、信頼できる兄弟たちとの間に交わされる、

赦しを完結させるための分かち合いは、

エゴを見ていく上で非常に大きな役割を果たす。


心の奥に隠蔽された恥部(と思っているもの)を、

信頼できる兄弟たちの前で開放することによって、

それは無かった、罪はなかった、と、

確固たる納得感と共に明け渡すことができるのだ。

午後からは、家のリビングで小説を書いて過ごした。

鹿児島で、K女史とK代さんに、

新作のプロットを話したところ、

絶対いける、とお墨付きをいただき、

それから色々と妄想が膨らんだ結果、

今ようやく筆を執った次第である。

乞うご期待!