↑ 龍の雲が日本列島を横断
今週は、ずっと香港でお仕事をしているのだが、
朝から晩まで自分のデスクに座りっぱなしだと、
夕方頃には、足がタコのようにフニャフニャしてくる。
ジムに行きたいのだが、平日夜はすごく混むので、
週末に裏の山を散歩して足腰を鍛えることにする。
で、今日、受け取った業務メールが全部で17件。
そのうち自分宛のものが7件で、他はCC:のものだ。
秘密プロジェクトもあり、決して暇な訳ではないのに、
なぜか業務上の厄介事が次々と自分をスルーしてゆく。
同僚、友達、店員さん、みんなが穏やかで優しい。
あっ、俺、いま、嫌な人が一人もいないと気づく。
嫌悪するような、辛い出来事もない。
人生初の状況に少々戸惑い気味である。
僕の日常も、僕の内面も、全く変わっていないのに、
幻想の世界だけが変化してゆく感じ。
そういえば、絶対に書くな、
と本人から念押しされているので、詳細は割愛するが、
兄弟てっちゃんも、映画『祈りのちから』の、
主人公の身に起きたような奇跡的出来事が、
職場で起こっているという。
絶対に書くな、て言われたから、書かないけど…。
でも、こんな時、救済は本当に起こっているのだな、
と、静かな確信に包まれる。
それに、みんなでシンクロしあいながら、
同時に進行しているのだ。
というわけで、最近、
奇跡講座のテキスト編を常に持ち歩き、
電車の中や喫茶店、昼休みに読んでいる。
1年前まで「眠れぬ夜は、睡眠薬より奇跡講座を!」
というくらい、数行読むだけで爆睡できたのに、
今では、エロ小説を読むより官能を覚える。
読んでいると、なぜか細胞のひとつひとつが、
きゅっと締め付けられるような感覚に陥るのだ。
これは決して比喩ではなく、
数行読み進めては、ぎゅぅーっ、となり、
少し休んではまた読み始める、を繰り返している。
まるで、身体の中で量子が弾けるような感じで、
決して不快ではないのだが、ともすると、
身体がギシギシ分解されてしまいそうになる。
そんなある日のこと、
って今日の昼休みのことなのだが、
救済(幸せな夢)をさらに受け入れるために、
日常生活の中で、具体的に何をしてゆけばよいのか、
今の自分に合ったカタチで教えてください、
と兄貴に訊いてみた。
そのあと、奇跡講座のテキストをパッと開くと、
《幻想の背後にある真理》という項目が出てきて、
そこでは、救済があなたに求めること、として、
おおむね、次の5つのことが示されていた。
1.もとより誰も行なっていないことの全てを赦すこと。
2.存在しないものを、ただ通過させること。
3.非実在のものを実在のものとみなさないこと。
4.聖なる神の子の意志が行なわれるに任せること。
5. 神の子は夢の世界など必要としない。
5つに分類したのは自分なのだが、
上記の内容を別の言葉で表せば、次のようになる。
1.それは起こってなかった、として全てを赦すこと。
2.個の想いを、消えゆく姿としてただ明け渡すこと。
3.実在しないものに戦いを挑まないこと。
4.個の自分でやらないこと。
5. 神の子の自覚の中に留まっていること。
結局、
コースが僕達に求めているのはこれだけなのだ。
そして、この5つのことは、
あくまで自己の内部のみで為されるものであり、
逆に言えば、外側で起きていることに対して、
僕たちがコース的に何らかの対処をするとすれば、
それは、心の中のみで実践される、ということだ。
それでも、こんなこと、
今の自分だから100%受け入れられるのであって、
普通の人の観点からすれば、お前人間やめる気か、
と言われるくらい、相当過激である。
まあ、結局、
夢は夢として、無いものは無いものとして扱え、
という一つのことに集約されるのだろう。
そうこうしているうち、
深夜、リビングでこの文章を書いていると、
突然、空間がびゅんびゅん波打ち始めた。
白いものが、彗星のようにさっと空間を横切る。
こわい!