大雨だったので、仕方なくジムへ行った。
いつもは上半身重視の僕であるが、
ここのところ、ずっとデスクに座りっぱなしだったため、
マシンで太腿と脚ばかりを重点的に鍛えた。
なので、いまも膝がガクガクしている。
夕方、ケータイの契約期間が切れていたため、
演歌同盟の友人と一緒に、コーズウェイベイにある、
香港CSLのショップへ契約更新をしに行った。
スタッフの人に薦められるままiPhone7に切り替える。
古いスマホからのアプリやデータの移動も、
全部、お店の人がやってくれたので助かった。
自分で設定をし直す必要もなく、帰りには、
そのまま、以前と同じようにケータイが使えた。
途中から使えなくなっていたWE CHATも回復し、
店員さんのサービスに大感謝である。
帰りに、アップルショップで保護ケースも買った。
なんか、スマホの更新と同時に、
僕の心の中の投影であるこの空間も、
新たにアップデートされたようで、うれしい。
でも、使わなくなったiPhone6をどうしよう。
兄弟てっちゃんが言うには、SIMフリーのものは、
日本では高く売れるらしい。
又は、新たに中国のSIMを入れ、
中国専用のケータイとして分けて使うのもアリかも。
前回の記事で、自分は何にも変わっていないのに、
周囲の人がどんどん優しくなってゆく、と書いたが、
そのことについてぼーっと考えながら、
奇跡講座を読んでいたら〝夢を癒やす〟という章で、
〝真の取り消しは優しいもののはずである。それ故に
最初にあなたの絵と交換に与えられるのは、
もっと優しい、別の種類の別の絵である。〟
という文章が出てきた。
なんかテキストを通して兄貴と会話しているみたい。
ちょっと、うれしい。
最近、
僕達が実践している〝赦し〟という行為は、
ハードディスクに空き容量を増やす作業と同様、
心の中に〝空白〟を作ってゆく作業なのではないか
と、思えるときがある。
そして、取り消された空白の時間枠に、
聖霊兄貴が、新しい神の映像を満たしてゆくのだ。
それが〝幸せな夢〟ということになるのだろう。
また、今週、台湾へ行っていた友人から、
台湾メーカーのクッキーのお土産を大量にもらい、
美味いのでバクバク食べていたら、
こんなことしてたら太る、と、突然、不安に襲われた。
まあこういうところが、
僕を〝男おばさん〟たらしめている所以なのだが、
このままでは残りのクッキーを全部食べてしまうので、
捨ててしまおうとしたとき、待てよ、と思った。
「このクッキーは、もとから何もしていない。」
まじまじとクッキーを見つめながら思う。
僕を太らせようとする悪の根源でも、なんでもない。
なんで嫌悪しながら食べ物を口にするのか、
問題は自己の心の中で作動している罪悪感にある。
そこをちゃんと見つめ、
もとから何もしていない自分の全てを赦してゆく。
結局、クッキーは全部食べちゃった。
聖霊は裁くことを教えない、と、
またまた奇跡講座を開けばこのの言葉…。
外界の世界に裁くべきものなどひとつもない。
外界は自分の心の中の投影であるので、従って、
自分の心の中にも裁くべきものは何もない、
ということになる。
裁こうとする自分の心の動きだけに警戒しなさい、
と、テキストの中でJは言う。
一人でいると勝手に上がってくる、
妄想劇場のことを言っているのだな、と解かる。
ここのところ、奇跡講座をテキストにした、
聖霊兄貴とのマンツーマンの学習が続いている。
初めに体験があり、それと呼応するように、
ドンピシャでテキストの言葉を見せられる。
そして、ああ、こういうことだったのか、と、
深く腑に落ちる。
もう、以前のように、
デイヴィッドがYOUTUBEでこう言ってた、とか、
アーテンやパーサがどうのこうの、とか、
ノンデュアリティではこういうことで、と、
他のマスターの言葉を探しにいかなくなった。
自分が欲しい言葉を見つけに行く必要などないのだ。
自分からガッツリ取りに行ったものを、
「聖霊に見せられた。」「聖霊が言ってる。」と、
巧妙にすり替えてしまう心の動きにも気づいた。
そういう意味で、奇跡講座が最終的に、
自学自習となってゆくのは当然である、と思う。
あくまで、すべての答えは、聖霊経由で、
自分の中から〝ふっ〟とやってくる。