香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ハッピーちゃん


↑乾燥梅や乾燥なつめ、金柑の塩漬けなど売る屋台 

今、この瞬間に、

〝ワクワクでハッピー〟な自分で存在することは、

聖霊兄貴に繋がっているのと同じ状態ではないか、

と、しみじみ実感し始めている。


で、ここへきて、また小説を書き始めている。

なんだか、無性に作品を創りたくなった。

これが今僕が一番やりたい事なんだな、と実感する。


以前、

自分の夢の実現を阻む無力感や罪悪感を統合し、

ワクワクに行動してゆくアンフィニのメソッドで、

次々に夢を叶えていった。(と、当時は思っていた。)

2010年に一冊目の広東語の教本を日本で出版し、

2012年に第二冊目の広東語の教本を出版し、

また2013年には、台湾で処女小説も出版できた。


そして、2013年にアンフィニが崩壊した後、

僕は、ハレ師匠に付いて奇跡講座を学び始めた。

強制帰還道場(←会社)をフル活用しながら、

次々と上がってくる罪悪感を聖霊兄貴に明け渡し、

顕われては消える幻想を明け渡しまくり、

間違った知覚を兄貴に訂正してもらい続けた。


でも、いま思えば、奇跡講座を始めて以降、

自分が今一番やりたいことに、それほどフォーカス

してこなかったな、と気付いた。


それは、唯一持っていた、

小説を書くことへの情熱に対しても同じで、

『ジンジャー・タウン』も書きかけのままだし、

新作への意欲も、構想はあるのだが、

〝絶対完成させてやるぞー!オーッ!〟

みたいな情熱が欠落していた。

奇跡の軌道に乗り始めると、

周囲は勝手に優しくなってゆくし、

嫌な出来事は自然と消えてゆき、

自分の心と世界がどんどん平安になってゆく。

まあ、こうやって幻想を終わらせてゆくのだな、

何かやるべき時が来れば、聖霊がまた動かすだろう、

それでいっか!くらいの気持ちで過ごしていた。



それが、なぜか、ここへきて、小説書こう、

という意欲が沸々と湧きあがってきているのである。

同じ書くのなら、

次々に書棚に並んでは消えてゆく、

新鮮さが売りの葡萄ジュースの様な作品ではなく、

たとえコアな一部の人たちにしか愛されなくても、

決して時代によって色褪せることのない、

熟成ワインのような文学作品にしたいと思った。

好きな事をやるぞ、小説を書くぞ、と決める。

どんなストーリー展開にするか、出版はどうするか、

などは、全て兄貴にお任せである。

とにかく、今、したいことをする。書きたいことを書く。

こうやって兄貴に全幅の信頼を置いて任せていると、

すでに、自分の小説が本になって出版されたと、

根拠のない確信が生まれるから不思議だ。

兄貴に任せた時点ですでに叶ったと信じて疑わない。

今晩家へ帰りますというのと同じくらい断定している。

これが、自分でやろうとすると、不安だらけなのに…。


パリに留学したいと思っている人がいたとする。

本当は、奨学金も下り、3か月後にはパリへ行ける

手はずになっているにもかかわらず、

本人だけがそのことを知らない。

もし、知っていれば、留学までの3ヵ月を、

ワクワクのテンションマックスで過ごせるはずなのに、

ただ知らされていないがために、

ドキドキと気もそぞろな毎日を送ることになる。

それが以前の僕の状態で、

もうすでに、行けることが解かっている状態。

それがいまの僕の状態だ、といったところか。


なんか、毎日、ひゅんひゅんしている。

このひゅんひゅんを言葉でどう表現すればいいか、

とあれこれ想いを巡らせていると、

ああそうだ、この感じって、

好きな人と恋愛を始めて一か月くらいの頃に似ている、

と思った。



〝いまこの瞬間〟をハッピーに過ごす。

なぜなら、

今以外は、全てただのデータだからである。

昔、あんなこともあったなあ、と、

思い返されるだけの記憶にしかならない。

本が出版され、ベストセラーになったとしても、

それはもう、ただの記憶なのだ。

なので、小説を書くと決めた今この瞬間を、

ハッピーに過ごしてゆくのだ。