トレーナーといろんな話をするようになる。
今日も、ダンベルを下ろす位置を説明する際、
もうちょっと上、とか、ちょっと下、とか言うので、
「位置としては、ちょうど乳首の上くらいですかね。」
と僕が言うと、トレーナーが気まずそうにしている。
聞けば、乳首とかバストトップという言葉は、
トレーナーの間では禁句なのだとか…。
男性の乳首の位置は大体決まっているが、
女性の場合はまちまちなので、
「では、バストトップにバーベルを持って行って。」
と言うと、わき腹の位置に持って行く人もいて、
セクハラにつながるというのだ。
とはいっても、
相手の身体に触れざるを得ない職業なだけに、
女性への言動には本当に気を遣うのだという。
香港にはセクハラ防止法というのがあり、
人事担当の僕も昔、講習会に参加したことがある。
「その服きれいだね。」まではセーフだが、
「その服セクシーだね。」はセクハラでアウト、とか、
相手の胸を指さして話をしたらセクハラ、とか、
なかなか奥が深かった。
しかし、セクハラホットラインが開設された当初、
最初にかかってきた20件が全て、
女性上司からセクハラされている男性からだった。
そんなところも、女性が強い香港らしくて面白い。
〝ただ騙されていることに気づいてそれを赦すだけ〟
状態になって、だいぶ月日が経とうとしているが、
ハートからくる平安の感覚は増しつつある。
先日、誰を見ても聖なる感じに見えると書いたが、
それは、神々しいとか、そういう偉大なものではなく、
ソファに座ると、ただこれは愛に満ちたソファだあ、
となり、ふぁちゃんと電話で話すと、
この人、世界一のふぁちゃんだあ、と感動し、
人とすれ違えば、なんて素敵なんだ、と感謝を覚え、
わけもなく感謝したいような気持が溢れ出すのだ。
なんで、こういう感覚になるのかと考えたとき、結局、
相手のどの部分に意識の焦点を合わせているか、
個の相手の部分か、聖霊の部分か、ということなのだ
と気づいた。
例えば、わがままで、独断的で、陰険で、
他人の批判ばかりしているような人がいたとする。
その人が、ある日、何かの弾みで、
ありがとう、と、笑顔で言ったとする。
それは、個のその人の中に一瞬垣間見せた、
聖霊の微笑みだったのかもしれないが、
聖霊を選んだ心は、その一瞬の一点だけに、
100%の意識を向け、〝笑顔でありがとう〟を、
相手の100%にしてしまう。
その瞬間、わがままで陰険な相手の存在が消え、
やがて、笑顔でありがとうな相手が、
現実のスクリーンに投影されてくるのだ。
慣れてくると、
相手のやっていることがみんな嘘に見えてくる。
話は変わり、昨日、佛山工場で、
購買課の日本人(40歳/男/独身)の髪が伸び、
散髪に行きたいけど、言葉も話せないし、どうしよう、
みたいな話をしていたので、
じゃあ僕も散発するので、今夜一緒に行きましょう、
ということになったのだが、その夜、皆で飲んだ帰り、
僕はそのことをころっと忘れ、みんなと別れた後、
一人で散髪に行ってしまった。
あくる朝、何となくよそよそしい態度の彼を見て、
あっ、と思い出した次第である。
あ、ごめんね、と素直に言えば済むことなのだが、
なんとなく、そのまま会話をしないまま、
香港へ帰ってきてしまった。
まあ、しょーもないこと、と言われればそれまでだが、
そこは、幻想を終わらせようとする実践者の僕。
即行〝気づいて、見つめて、明け渡す〟を実行する。
この〝ブッチ、一人で散髪行っちゃった事件〟
の裏に隠されているのは、
裏切ったという想いから来る〝うしろめたさ〟だ。
そのうしろめたさをじっと観察する。
自分は騙されているんだ、と認識する。
もとから何もしていない彼を赦し、兄貴に明け渡す。
あとは兄貴に任せておく。
〝天国強制送還道場〟での心の筋トレも、
ますます佳境に差し掛かってきた。