香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄貴を想い出しているか!



またまた上海に来ている。

今回の出張は、日系の銀行を二件訪問するのと、

上海の総経理(中国人/男/44歳/独身/小太り)が、

今月末でリストラされるので、

僕が業務を引き継ぐことになったのだ。


上海事務所と言っても、

事務員さんが一人いるだけのレンタルオフィスで、

数か月以内にはここも引き払うことになっている。


総経理の彼と、銀行へ挨拶に行った後、

一緒にコーヒーを飲みながらだべった。

解雇補償金に多少の不満はあるようだったが、

おおむね本人も受け入れているようだった。

ただ、あまりに突然の通告だったため、

まだ気持ちの整理できていない、ということだった。

今後は物価の高い上海を離れ、

田舎の丹東(北朝鮮との国境の街)に帰って、

職を探すか、自分で商売を始めるという。


それにしてもうちの会社、最近リストラが止まらない。

海外のローカルスタッフだけでなく、

本社の日本人社員もバッサバッサと切られてゆく。

特に、口だけで、何の成果も上げてこなかった

おっちゃん幹部たちは、皆いなくなってしまった。


僕個人としての意見だが、

リストラは決して悪い事ではないと思っている。

どうしても変わりたくない本人に代わって、

新たなタイムラインへ移行させるために、

聖霊が発令した強制執行だ、というふうに捉えている。

それは、ただ、

取り消されるためだけに起こっているのだ、と…。

だから、大いなる赦しの日も、僕にとっては、

「おめでとう!」(あやこさん風)となる。

もちろん、僕自身に対してのおめでとう、である。


まあ、そうは言っても、

僕もおっちゃん幹部の一人であり、

いつ自分の番が回ってくるとも限らない。


それでも、まあ、

自分が投影する夢の世界に執着しなくなった今では、

何が起こっても赦すだけだ、という覚悟はある。


あっ、

それと、あとは、貯金をすることです。

最近、四六時中聖霊と過ごすようになって、

エゴを選んでいるか、聖霊を選んでいるかは、

この現実世界で何を選択しているかとは関係がない、

ということに気付いた。


どういうことかと言うと、例えば、

いま自分が就活をしているとして、

A社とB社、両方から採用通知を受け取ったとする。

A社は自分がやりたい職種とは全く異なるが、

給料も多く、安定していて、休日もちゃんと取れる。


一方B社は、中小企業で給料も少なく、残業も多い。

しかし、

昔から自分がやりたくて仕方がなかった仕事を、

思う存分やらせてもらえる。


さて、どちらの会社に就職しようか。


自分には養うべき家族がいる。

でも、やりがいのあるB社の仕事も諦められない。

で、聖霊に訊いてみる、兄貴に委ねてみる。


「どちらの会社に行けばいいですか。

 聖霊さん、教えてください。」


オイ、オイ、オイ、である。


どっちの会社に行けばいいですか。

離婚すべきですか、しないべきですか。

これを買うべきですか、買わないべきですか。

これらの質問の中には、

肉体の安全、個の利益、が必ず含まれている。

いや、そうじゃない、私は純粋に聖霊に訊いている、

と頑固に言い張ったとしても、

必ず意識の奥の奥では個の利益を思っている。

又は、どちらか一方が聖霊の正しい答えだ、

と信じている。


要するに、いくつかの選択域の中から、

一つを聖霊に選ばせようとすること自体エゴなのだ。


「今の自分に最も適した場所へ私を導いて下さい。」

「この件に関してどうすればよいか、

 今の自分にも分かるように教えて下さい。」


僕も以前はこんな感じの訊き方をしていた。


でも、違うのだ、と近頃気づいた。

そんなことお願いしなくても聖霊はいつも完璧に

僕たちを導いてくれている。

大切なのは、

24時間聖霊を思い出しているかどうか、それだけだ。


24時間聖霊を思い出していたなら、

その中で下した決断は常に正しく完璧なのだ。


たとえそれが、頭で出した結論だっていい。

A社とB社の良い所と悪い所をチャートにし、

分析に分析を重ねて決めたって構わない。

あちこち、いろんな人に相談して、

考えて考えて決めたってOKだ。

びびび、と頭に入ってきた、とか、

こっちだよ、と声が聞こえた、とか、

そう言うのだけが聖霊の導きではない。


たとえ、考えた末にA社に行き、

すぐにリストラされてえらい目に会ったとしても、

聖霊を思い出している世界で決めたことは、

どれも聖霊が導いていることであり、

それが完璧なのだ。


結局、聖霊を選択するということは、

自分を信頼している、ということなのだと思った。


そうやって、

機内でそんなことをぼーっと考えながら、

上海を後にした僕であった。