香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神を招き入れる日


↑蛍光灯の色って大切だと思う。
 中国はどこも青白い蛍光灯で、殺伐とした感じだが、
 香港の公共施設はすべて肌色の蛍光灯で統一され、
 暖かみが感じられる。

先週土曜日はなぜか、奇跡的に朝早く起きたので、

午前中はジムで2時間たっぷり自主トレをし、

午後は、いつものマッサージ屋へ、マッサージと、

足の裏の角質取りと、垢すりをしてもらいに行った。


垢すりは、

ただ、タオルで身体の垢を擦り出すだけでなく、

胡桃の殻を細かく砕いた特別な石鹸で、

あんなところや、こんなところまで、

全身をくまなくマッサージしながら洗い流してくれる。

マッサージは、

指圧とオイルマッサージを半々でやってもらった。

時間にすれば、垢すりが1時間、マッサージが90分、

足の角質取りが30分といったところか。


そして、毎回、僕にとってのこの三時間は、

超スピリチュアルで神聖な時間となる。

いわば、夢の投影機である肉体をリセットする時間、

或いは、エゴの想いの元ネタ大放出の時間、

大げさに言えば、宇宙を消失させる時間なのだ。


世界(宇宙)は背後からの天国の光を受け、

肉体という映写機を通して前方へ投影されている。

故に、宇宙は肉体の投影であり、

宇宙と肉体は同じものなのだ、と言える。


そこで、垢すりやマッサージのときに、

施術師が全身を指圧する感覚に沿って、

その映写元の肉体を細かくスキャンし、

夢のスクリーンに投影される寸前のエゴの想いを、

それは無かったと確認することで消滅させてゆく。


まあ、この〝スパ式ヴィパッサナ-瞑想〟は、

赦しそのものではないのだが、

投影の元ネタである思いのカスを除去することで、

実相の歪みが修正され、

結果、決断の主体に戻りやすくなる。

というわけで、3時間の聖なる時間を過ごし、

ジャグジーに浸かりながら、

心にふっと浮かび上がってくる人たち、例えば、

僕が憎しみを覚えていると思っている人たち、

財務印を隠していた上海事務所の女性や、

先週解雇したYUIや、態度の悪い店員など、

いわば、自分を傷つけたり侮辱した人たち、

神への恐怖のあまり、外へと追いやってしまった

〝神の断片たち〟を、背後の主体へと戻していった。

それはまた、

神であったものを、神へと返す作業でもある。


これまでは、起きる事柄に反応するたび、

そこから生じる罪悪感を赦し、

ひとつひとつ背後へと引き取っていたが、

〝背後の主体〟の方がリアルになるにつれ、

まるで風船が縮むように、

空間まるごと収縮してくるような感じで、

背後へいっぺんに統合されてゆく感覚が強くなった。


目の前の空間が色褪せ、力を失くすのがわかる。

空間の中で仕事をしたり、生活をしている自分に、

真実味を見いだせなくなってきている。


それでも、突然、

身の置きどころのないような不安感や焦燥感や、

さまざまな憎しみの妄想からくる憎悪と怒り、

そして、そんな妄想をしている自分に対する罪悪感

などに襲われることがある。


エゴの襲撃だ。

自分→世界、から、世界→自分へと、

ひとつひとつの出来事を聖霊へ明け渡す赦しから、

見えている全てを背後の主体へと引き取る赦しへと、

意識のベクトルが反転し始めたころから、

エゴが牙をむくようになった。

これならまだ〝古い赦し〟をしていたときの方が、

はるかに平安だった、と思えるくらいである。


そんなとき、

聖霊兄貴がいてくれて本当によかった、と心底思う。

兄貴と一緒にエゴを観てゆくことで、

僕たちは騙されていてこれは夢なんだ、

これは夢から脱出する超高速プロセスなんだ、と、

心底納得してゆくことができる。


そんなこんなで、ジャグジーを出て、

更衣室の鏡に映る自分の裸体を観た。

筋トレの甲斐あって脂肪が落ち、

全身が筋肉と血管でスジスジしている。

トレーナーからは、ちょっと絞りすぎなので、

もっとご飯を食べましょう、と指示されていた。

「今夜は、鶏胸肉ではなく、牛丼でも食うか。」

と、考えている自分を背後の主体へ丸ごと返す。


↓↓ 外へ追いやった別人格の記事参照はこちら ↓↓多重人格者から学んだこと - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー


いよいよ来週は大いなる赦しの日である。

それはまた、

自分がバラバラにした神の断片を拾い集め、

再度、神を神として招き入れる日でもある。

そうやって、僕たちはみんな一緒に、

父が待つ故郷へと還ってゆく。


父である神を破壊したと勝手に思い込み、

そのとてつもない恐怖から逃れるために、

神を切り刻んで外へ放りだした、という、

へんてこりんな夢から目醒めてゆくのだ。