香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

大いなる赦しの日 第二弾



とうとうこの日がやってきた。

午前八時、僕と海坊主総経理と弁護士4人が、

先に工場入りし、清算協力人となったふぁちゃんと、

もうひとり人事課長の陳さんもそこへ合流する。

首席弁護士の陳弁護士が、

ふぁちゃんたちに手伝いの手順を指示する。

彼女たちは出席者名簿へのサインを集めたり、

必要書類を配ったりする係となる。


僕は、工場へ着くとすぐにパラリーガルの人達と、

会場となる食堂へ赴き、横断幕や音響を設置したり、

離職手続きのカウンターを作ったりした。


大会開始までまだ一時間以上あるというのに、

会場にはすでに大勢の従業員が詰めかけていた。

雰囲気はいたって和やかだ。

大会が始まり、社長、海坊主総経理が挨拶をする。

そこで初めて、工場を清算することになったこと、

そのため、今日付けで全員が解雇されること、

それに伴い、補償金を支給することなどが述べられ、

最後に、これまでの感謝と謝罪の言葉と共に、

社長と総経理は、涙を流しながら深々と頭を下げた。

そのとき、なぜか拍手が起こった。

続いて、弁護士による補償金の内容の説明があり、

最後に、補償金計算書、離職手続書、離職証明など

の入った封筒が各々に配られた。


そうして大会が終了した後、

離職手続きのカウンターに人が押し寄せてきた。

質問コーナーのカウンターにも人が押し寄せ、

会場はものすごい喧騒となった。


あの後、僕には、サインをし終わった人の中から、

今後、工場の残務整理のために、

一カ月ほど残留してもらう人たちを探しだし、

総経理と弁護士が待つ別の場所へ連れて行く、

という任務を負っていた。

彼らは再度、臨時の短期労働契約を結ぶことになる。

しかし、人でごった返している中から、

それらのメンバーを探し出すのは至難の技だった。

僕は大声で彼らの名を叫び、本人を見つけるや、

待機しているバンに次々と送り込んだ。


↑従業員の質問に丁寧に答える陳弁護士
当初は、

ごねてなかなか離職に応じない人もいるため、

夕方までかかるだろうと言われていた離職手続きは、

正午を待たずにあっさりと終了してしまった。


工場の事務所へ戻り、マックの出前の昼食後、

全員で総括を行なった。

こんなに順調に解雇が行われたのは珍しい、

と陳弁護士も驚いていた。


↑離職手続を手伝ってくれるパラリーガルの人達

昼からは、

ふぁちゃんが補償金の振り込み作業をし、

僕がインターネットで振込みを完了させた後、

みんなで工場を出た。


今日は日曜日。

久々に家でテレビを見ながらまったりしている。


上海事務所も、

事実上のペーパーカンパニーになってしまったし、

これで、中国大陸とは縁がなくなってしまった。

それは、僕にしてみれば、

まるで中国が消えてしまったような感じでもある。


三年前の大いなる赦しの日第一弾以降、

お別れをした、たくさんの人たちは、

すでに、僕の背後の主体へと統合され、

天国へ帰還する父からの一歩を待っている。


この三年間、天国強制帰還道場として、

がんがんに赦し続けてきた佛山工場であるが、

本当は赦され続けていたのは僕の方だった。


そうして、ぼくたちは背後の主体にすべてを託し、

よろこんで消えて行くのだ。