香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

いじらず 焦らず



日本一時帰国を明日に控え、

帰国後の出張の手配、支払い業務、

弁護士や、フォローしてくれる同僚への申し送りなど、

この日は朝からバタバタしていた。

夜はトレーナーとのセッションが入っていたので、

なんとか時間内に仕事を片付けようと、PCの前で、

真っ赤に焼けた炭のようになって仕事をしていた。


と、ふぁちゃんから8月の財務諸表が送られてきた。

チェックすると、バランスシートの合計が合ってない。

損益表にも仕訳内容が記載されていない。

資金繰り表も、罫線が切れ、表が汚い。

普段なら、間違いを伝えて再提出で済むのだが、

この日は時間に追われ、こっちも心に余裕がない。


反射的に、かぁーっ、とくる。

この、かぁーっ、を相手にぶちまければ、

非実在を実在にしてしまうことになると分かっている。

自分は夢を見ていて、誰も何もしていない。

ただ赦して通過させるだけだ。知っている。

なのに、気づいた時には、スカイプでふぁちゃんに、

「ち・が・う・だ・ろーっ!」とやっていた。(笑)


昼から、社用車で香港の会計事務所へ向かった。

この日、いつものベテラン運転手が休みで、

代わりに、別の若い運転手がハンドルを握った。

普段、通らない道を通り、大渋滞に巻き込まれた。

なんでこんな変な道を通るのか、と聞けば、

カーナビではこの道になっている、と言われた。

これでは約束の時間に遅刻だ。

オフィスへ戻れば、まだ未処理の仕事が残っている。

再度、かぁーっ、とくる。

その、かあぁーっ、を見つめ、夢のストーリーを、

丸ごと兄貴に委ねながらも、

「道には表と裏があるの。裏なんだよ。こっちは。」

と、すみません、と謝る運転手に文句を言っていた。


はっと気づく。あれ?オレいま、豊田議員やってる?

まあ、暴言を吐いたり、暴力を振るったりはしないが、

夢のストーリーにはまっているという点では、

彼女と五十歩百歩だろう。


ワイドショーに出てくる彼女に対して、

「なんてえげつない。」「変な人。もっとやれーっ!」

と、まるでショーを見る感覚で騒動を楽しんできたが、

これでさえ、自分の運子ちゃんの投影だったのだ。

天国から離れた、と勘違いしたことからくる、

僕自身の〝狂った〟叫びを、

テレビの中の彼女に投げつけて見ていただけだった。

帰りの車中、あーあ、やっちゃった、という、

自分への嫌悪と罪悪感を兄貴に返しながら、

オフィスへ戻り、仕事を再開した。


本社から技術支援費のインボイスが回ってきていた。

中身を確認し、支払いのサインをしようとしたその時、

ある駐在員の給料が、自分より多いことに気づいた。

子供が2人いる彼には、扶養手当がつくのだった。


「ええーっ。何であいつが俺より…。」と思った瞬間、

形容し難い毒素のような感情がかーっと上ってきた。

嫉妬?妬み?屈辱感?

その感情はやがて、相手や会社への怒りに変わる。

しばし、いつもの妄想劇場が始まった。

自分の中に、こんなにも激しい感情があったのかと、

ちょっと驚いたくらいだ。


これも、兄貴から差し出されたものなのだろうと、

吐きそうになるくらいの嫌悪的感情を、

聖霊兄貴に捧げまくり、神の子に夢は必要ない、と、

ただ通過させてゆこうとした。


そんなとき、グッドタイミングで、その当の本人から、

ある案件についての質問メールが来た。

「自分よりよい給料もらっているんだから、

自分より給料も能力も低い俺に訊くなっ!」

というヒガミの思いが、わわっ、と湧き出してくる。

結局、メールは返さなかった。


帰りの地下鉄の中で、

誰も、何も行なっていないことの全てを赦し続けた。

でも、だめ。ヘドロの流出が収まらない。


そのとき、あることに気づいた。

これは、過去に解雇されて会社を去って行った人達、

例えば、上海の総経理や、

印鑑を隠していた上海の女子事務員、或いは、

海坊主総経理、たちの想いを代表している、と…。


このヘドロのような運子ちゃんを見たくないがために、

外へ分離させた兄弟達にその運子ちゃんをぶつけ、

自分の中にはこんな汚い物などありませーん、

と、他人ごととして、涼しい顔をしていた。

しかしなんのことはない。全ての元ネタは自分だった。

自分が持っている運子ちゃんで、

〝ち・が・う・だ・ろー〟を作り出していたのだ。


そうやって静かに目を閉じていると、

過去に去って行った多くの人たち、そして、

今後、去ってゆこうとしている人たちが次々と顕われ

僕の前方から背後へと、

突き抜けるように消えてゆくのを見た。


実際に、かぁーっ、を止められなくても構わない。

かぁーっ、が去った後に、

どんなびゅんびゅんが来たってOKだ。

これは聖霊に差し出されたレッスンだ、とか、

このことはこういう理由があったんだ、とか、

そういう理屈付けも必要ない。


一切の〝いじり〟をいれることなく、

ただただ、それをそのまま返してゆく。


夢の演者ではなく〝夢の目撃者〟でいること。

夢の演者が何をしていたとしても、夢の目撃者には、

それが神の子と一切関係ないことが見えている。

だから、ただ、何もせず、狂った考えを流すだけだ。


夢の演者を実物にしないこと。

それは実在ではないからこそ、いじらず焦らず、

ただ通過させる。


そんなこんなの帰国前日だった。