東京本社の管理本部で、
給与関係や財務など担当していた女性課長が、
そんなことなどしなくてもいいのに、
突然、辞表を出し、年内で退職することになった。
彼女はアメリカ留学経験もある才女で、
法務や税務にも詳しく、僕も頼りにしていたのだが、
40代、独身、一人暮らし、女性、ということもあって、
今のうちにキャリアアップしておかないと、
今後、年齢的に転職は難しくなる、と踏んだらしい。
だが、東京本社は、
14人いた社員を6人にまで削減したばかりで
株主の手前、新たに社員を雇うことは許されない。
そこで浮上してきたのが、僕の〝本社帰任説〟だ。
まあ、そうとはっきり言われたわけではないのだが、
なんか、歯切れの悪いコンババ部長の態度や、
「星谷さんが本社へ返されるんじゃないの?」
という周囲の噂話から、それもあり得るな、と、
勝手な推測でびゅんびゅんしている。
しかし、ここはもう、自分の肉体や自我や未来を、
全てJ兄貴に全託し、お任せしているので、
何が起きても、信頼して付いてゆくだけであるが、
それでも、もちろん、様々な〝個の想い〟は出てくる。
23年間、暮らし慣れた香港を去ることへの動揺、
辞令一つで人生を変えられてしまうことへの疑問、
関西人の自分が東京で暮らすことに対する不安、
など、びゅんびゅん上がってくる。
その反面、
東京にいることで出会える新たな兄弟たちのことや、
思いもよらぬ人生が展開することへの期待や、
高齢の両親のためにも、日本に帰る良い機会だ、
といったプラスの想いも次々と浮上してくる。
それになにより、
東京がそんなに嫌でもない自分がいる。
それでも、
とっさに来られると、跳ねのけたくなるのが人の常で、
もし、東京勤務の辞令が出たら、前から考えていた、
ベトナムの首都ハノイへの語学留学を実行に移し、
そこで、思い切り創作活動をしようかな、とか、
いろいろ別の選択肢の妄想を膨らませたりもする。
↑もつ鍋屋のまえにいた山羊。
そんな、びゅんびゅん湧き起こる思いを凝視し、
はいオッケー、はいオッケー、と、通過させてゆく。
「この世界が自分の心の中の写し絵なのだったら、
これも、それも、あの出来事も、あの人も、
自分の中で起きているもの、
すなわち、全部自分だ、ということになる。
ということは、
自分の意志でどうとでもなるということだよね。
だったら、自分が何を選ぶか、だけじゃん。
それなら、自分は聖霊しか選ばない。」
「J兄貴、僕はあなたしか選びません。
常にあなたを招き入れることだけを意志します。
だから僕の心の中をあなたで満たしてください。
知覚を智識へと変換してください。
その間、僕は必ずじっとしてますから…。」
そうやって、自分の心をJ兄貴に明け渡し、
J兄貴のなすがままにさせる。
J兄貴の眼差しで世界を見る。
やがて、現実空間が聖霊で満たされ始めた。
僕の心(現実世界)が、聖霊に変わった。
人、物、事がら、全ての中に聖霊を観る。
すれ違った白人男性の顔を見ただけで涙が溢れた。
そうか。
大事なのは、心が神を選択する、ことだったのだ。
これは、唯一自分でしなければならないことだ。
心が神を選択すると、
現実世界が神の想念で満たされる。
すると、心の中を反映しているこの現実世界で、
見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、
全てが神となる。
電車で大声で話しているおばちゃんも、
メールで誰かを攻撃しているように見える同僚も、
床を這うゴキブリも、カビの生えた食パンも、
それがどういう状態か、ということとは関係なく、
その奥にある全一性がにじみ出し、どこか、
アートのように美しく、有り難く見える。
ああ、そうか。
神を選択した心は、すでに神の子であるので、
その中で、東京へ行くことを選択しようが、
香港に残ることを選択しようが、
ベトナムへ留学することを選択しようが、
本を出版しようが、セックスをしようが、金を稼ごうが、
それが、神の子の選択であり、神の表現となるのだ。
これまで、
起こることが起こっているだけで行為者はいない、
静寂の意識の中でただ在るだけ、という、
悟り系や非二元に対して、どこか腑に落ちない、
どこにも行き場のないやるせなさを感じていたのは、
この〝神を選択する。神が満ちた心で行動する。〟
という行為が、ごそっと抜け落ちていたからだ、と、
このとき、初めてストンと納得のいく思いがした。
なので、自分の心にやってきた神を、
絶対に、絶対に、絶対に、手放さない。