暖房という概念のない香港は、
ある意味、日本より凍える。
特に僕の家は裏が山なので、底冷えして余計に寒い。
というわけで、今年も友人たちが、
ホテルのビュッフェで僕の誕生日を祝ってくれた。
しかし、
トレーニングで食生活が変わってしまったからか、
ケーキを数切れ食べただけで吐きそうになり、
以前のような爆食いができなくなってしまった。
それでも、
普段は、会社と家の往復の毎日なので、
久々に年末の香港の街をぶらつくことができ、
本当にリラックスした楽しい夜を過ごせた。
香港そごうの前で友人を待っていた時のことだ。
無機質でプラモデルのようなビルの間を行き交う、
大勢の人々を何気なく眺めていると、
突然、風景がただの映像のように見え、
自分はいままさにマトリックスの世界にいるんだな、
と実感した。
この待ち合わせ場所に来る前も、
ある高層階にある会計事務所で、
公認会計士さんと打ち合わせをしていたのだが、
その時も、窓ガラスの外に拡がるビル群を見て、
ああ、自分は今、仮想空間にいる、と感じた。
その後、
ここをリアルだと信じなさい、と自我がささやく中、
「いんやっ!」と兄や父(Jや神)の方へ寄り切り、
密かに、兄や父を思い出すことだけに集中していた。
そんなこんなで、クリスマスである。
会社も土曜から5連休となる。
でも、これと言ってやることのないボク…。
クリスマスイブを中国語では〝平安夜〟と言うが、
この日は街に出ても、どうせカップルばっかりだし
ちっとも平安ではいられないだろうから、いつも通り、
ひとり家で酔っぱらっていることにする。
どうせ、このカップルたちだって、
マトリックスの仮想空間に映る0と1の妄映なのだ。
フンッ!
ところで、ここ数日、
神を想い出している事と同じくらいマイブームなのが、
他者は赦すべき自分だ、という言葉の実践だ。
ふっと何気なく口にした自分自身の言動を観察し、
相手が発した一言を自分の心が発したものとして赦す。
意味を解釈して赦すのではなく、ただ、認識して放つ。
例えば、
今日、フィリピン工場に爆破予告があったのだが、
その報を聞いて、ひょっとして犯人は誰々さんかも、
という、100%冗談として発した自分の一言に、
じっと光を当て、聖霊に委ねてゆく。
多分、無意識のベールの向こうでは、
その誰々さんを、聖霊を通してではなく、
罪悪感を通して見ていたと思うから…。
また、中国語のできない海坊主総経理と、
中国語しかできないふぁちゃんとの間で、
意志の疎通ができず、いつも自分が間に入って、
通訳をさせられることに対して発した、
「何年も中国で仕事をしているのに、いまだに,
中国語が話せない総経理なんて、あり得ない!」
という心の中でのつぶやきを捉え、明け渡してゆく。
他者を、自分が赦すべきものを映し出す鏡とする。
そうなると、すべて自分なので、
言い訳ができなくなり、赦すしかなくなってしまう。
まあ、うちの会社もなかなか大変な時期に差し掛かり、
僕の2018年もまた、
分水嶺(ぶんすいれい)に立たされるような、
激動の一年になると思われる。
そんな中、
この幻想世界でどういう状態に置かれたとしても、
それは文字どおり夢であり、無であり、無意味だ、と、
心底思えるようになってきている自分がいる。
J兄貴の気配も常に感じられる。
今後は、
〝幻想とは思い入れである〟
を肝に銘じて警戒してゆくことにする。