香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

終了物語

トレーナーが日本へ里帰りをしているため、

ひとり、ジムで身体を鍛えているボクである。

今回、おせちは予約せず、パックのおでんと、

冷凍和牛ハンバーグと、カレーと、おしるこで、

年末から正月を乗り切ることにした。

北海道産の新米も買ったし、大吟醸も買った。

これで、新年を迎える準備は整った。


で、昨日の日本レコード大賞、乃木坂46が獲った。

まいやん(白石麻衣)がセンターになってた。

ダンスも上手くなったし、成長したなあ…。

それに、AKB48のまゆゆ(渡辺麻友)が今日で卒業。

今夜の紅白で歌ってる姿は見納めとなるのかあ…。

恋愛禁止のAKBグループに於いて、

さっしーやゆきりんが、

男がらみで次々とスクープされてゆく中、

まゆゆだけが純潔を貫き、

唯一の王道アイドルとして、いま、卒業して行くのだ。

ああ、これぞ真の神アイドル!

いままでありがとう!そして、お疲れさまでした。

(↑ このオッサン、キモっ!と思ったそこのあなた…

  赦しなさい!)

前回の記事で、2018年は無口になる、と書いたが、

ただ、黙りこんでいるだけでは意味がない。

矢印を自分の心の中に向け、静かに、

自分の中に隠ぺいされたものを観てゆくことが大切だ。

怒りを誘発するような出来事に遭遇する度、

あらゆる状況や人間関係の中に〝罪〟を観て、

それらを攻撃している自分を凝視し、手放してゆく。


例えば、

佛山工場を閉鎖に追い込んで辞任した前社長が、

代表権を失くした今でも、出張に行きまくっては、

VIPルームに宿泊し、会社の経費で、

何の実益にもならないことで海外を飛び回っている

と聞き 「こいつ、馬鹿じゃないのか!」と、

怒り心頭に達するとき、

または、

香港駐在の調達部長から、

自分の子供の日本人学校の学費を、

半分でいいから会社に負担してもらえないか、

と相談され、

「すでに家族手当をもらってるだろう。

 それじゃあ、独身社員に不公平じゃないか。」

と切れかけたとき、

或いは、

混みあうジムで、ひとつのマシーンに長々と居座り、

ずっとスマホをしているデブ男を見て、

〝死ね死ね妄想劇場〟が始まりかけたとき、などなど、

〝ちょっと待ったぁーっ!〟

と、思考に急ブレーキをかけ、とりあえず沈黙する。


そして、これは全て、

自分の心の中に隠している無意識の罪悪感を、

相手の中に投影して攻撃しているだけだと認識し、

その想いを聖霊兄貴へと放出してゆく。

その後の結果がどうなるかについては考えない。

全面的に兄貴に任せておく。


僕の場合、今年の初めくらいから、

世界は内的状況の外的映像、すなわち、

この現実空間が自分の無意識の心の中の投影だと、

心底実感できるようになってきた。

そのころから、エゴを真に受けなくなった。

この幻想空間に立ち顕われている人や物は全て、

自分自身の罪悪感の投影であり、

自分が外へと追いやった〝見たくない自分〟なのだ。


だから、

前社長や、調達部長や、スマホでデブ男、は僕であり、

いま、ここで手放し、終わらせるために顕れている。


↑ 大みそかは友人とタイ料理。


また、直視(認識する/観る)という事に関しては、

〝咎めずに、裁かずに見る〟

〝価値判断を持たずに見る〟

〝静かに、穏やかに、冷静に見る〟

〝微笑みつつ、深刻にならずに見る〟

と、加藤美代子氏が的確なアドバイスをされている。


よくよく考えてみると、

どうしてこの人生に価値を見出そうとするのか、

どうしてこの人生を深刻に見てしまうのか、

どうしてこんなにも穏やかでいられないのか、

不思議だ。

自分が存在した証を人々の記憶に残すため?

子供や孫を育てるため?

ワクワクに生きて、楽しく人生を終えたいから?

しかし、成功者も貧乏人も、何をどうしたって、

数十年後にはみんな終了するじゃないか。

永遠に父が待つ故郷へ帰るまでもなく、死ねば、

体験したと思っている星谷周作としての人生が、

全部、無かった事としてリセットされてしまう。

会社での苦悩や、家族との葛藤や、個人的憎悪は、

体験すらされていなかったこととなる。

過ぎ去れば、全ては思い出(記憶)となり、

消え去ってもうここにはない。

その証拠に、僕達は、ひとつ前の〝生〟のことすら

何ひとつ覚えてはいないじゃないか。

そう考えると、

個人的人生の幸せに執着しても意味をなさない。

要するに、僕たちは騙されているのだ。


だから、僕はもう今後、

現われ出る出来事を、終わらせるためだけに使う。


それにしても、これって、本当に究極だと思う。

若くもなく、かといって、年寄りでもないこの年齢で、

ここへたどり着けたのはやはり必然だったと思う。


というわけで、今年も僕の〝終わってゆく物語〟に

引き続きお付き合いいただけると幸いです。

では、皆さま、よいお年を!

そして、ハッピーニューイヤー!