香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ようく、ようく、見てみると…

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↑ 何もする必要がない、の意味は、

   この状況を見ても何も言わないということではない。

   使うので片づけて下さい、とちゃんと相手に伝える。

   そして、その時、出てくる〝ふっ〟を捧げる。

  

様々な人や物や事象が次々と取り消されて行く中、

 

会社員としての仕事も終わろうとしている、

 

みたいな記事を、以前、書いていたと思うが、

 

10月1日から新会社となり、社長も変わって、

 

新たな体制でスタートを切った途端、なぜか、

 

すっごく仕事を頑張っている自分がいる。

 

 

トレーナーとのセッションもキャンセルし、

 

風邪気味で、身体じゅう蕁麻疹全開にもかかわらず

 

ここ数日、夜の十時近くまで仕事をしているのだ!

 

エライッ!

 

 

もちろん、特別な何かがあったわけではなく、

 

無理に決意をして一生懸命やってるわけでもない。

 

もちろん、本当に業務が忙しいというのもあるが、

 

ただ、仕事や同僚に対する感謝がふっと湧きあがり、

 

自然と頑張りたい、という意欲が湧いてきている。

 

 

赦しを実践していると、

 

聖霊にどんどん自分や兄弟を明け渡してゆく過程で、

 

急激な喪失感にびゅんびゅんする時期を通り過ぎる。

 

これまで安定や安心を得てきた象徴物、

 

例えば、お金や、家や、大切な持物や、ペットや、

 

居心地の良い生活環境や、安定した仕事や、

 

長年共に過ごしてきたパートナーシップなど、

 

もう、それがなくなったら死ぬほど動揺するような、

 

殆どアイデンティティとなっているようなものが、

 

次々に取り上げられる時期がやってくるのだ。

 

 それでも、外側のものが消えれば消えるほど、

 

 解放されてゆく奇妙な安堵感も同時に感じる。

 

 

 また、これまでの自分は、

 

 取り消しによって外側の何かが放棄される際に、

 

 「ああ、このことは、もういいかな!」

 

 という感じで、興味や意味を見出さなくなることで

 

 終わってゆくものだと思っていたが、

 

 実際は真逆だった。

 

 

本当に愛おしく、感謝と慈しみの中で終えてゆく。

 

 なので、仕事も最後まで一生懸命やるのだが、

 

 かといって、そこに未練や執着はない。

 

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 ↑ 警察官募集のポスター。

  日本の警官は柔道選手のように肥っているが、

  香港の警察官は、容姿も審査対象となるため、

  スリムなイケメンが多い。

   

というわけで、

 

今日17日は重陽節の祝日で香港はお休みである。

 

 ここのところ、残業続きだったので、

 

 週の真ん中に休みがあるのはありがたい。

 

 

部屋でひとり、

 

 今この瞬間に在る平安を見つめていると

 

 谷川俊太郎のパクリみたいな、変な詩ができた。

 

 

『ただ見つめること』 作:星谷周作

 

兄弟を見つめること

 

それは自分の心の中を見つめること

 

笑顔と慈愛で見つめること

 

不機嫌で、自分勝手で、小憎たらしくて、最低最悪な

 

そんな兄弟の前で、ただ無防備に見つめること

 

兄弟にさらけ出して恥じないこと

 

それが兄貴を受け容れるということ

 

兄弟は自分の心の中に住んでいるということ

 

そして、兄弟が持っている故郷へ戻る扉の鍵を、

 

じっと、じっと、ようく、ようく、見つめること

 

僕の役割は、ただそれだけだということ。