香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

おごるということのあれこれ

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三泊四日のフィリピン出張であった。

 

今、フィリピンは乾季なので、

 

毎日、カラッと晴れた晴天の毎日が続いている。

 

気温は32度と暑いけれど、空気は乾燥していて、

 

風もあるので、過ごし易い。

 

いつもは仕事場とホテルの往復だけなのだが、

 

今回は、夕暮れ時の海辺を散歩したり、

 

昔、フィリピンで工場長をしていた日本人の前同僚と、

 

久々に会ってバーで飲んだりした。

 

彼はいま、この地で英語学校を経営しており、

 

日本の企業に対して、英語を短期集中的に学べる

 

社員研修を企画提案し、生徒を集めている。

 

さしずめ、語学版ライザップといったところか。

 

なかなか好評らしく、経営も順調だという。

 

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今回の出張では、お金を一切使わなかった。

 

僕達サラリーマンには出張手当というものがある。

 

これは、現地で個人的に食事をしたりするのに、

 

必要な経費として支給される。

 

しかし、今回は、個人的な飲食代なども含め、

 

全て、年配の方などに支払っていただいた。

 

 

僕くらいの年齢になると、年下の部下などに、

 

食事をおごったりする機会が多くなる。

 

また、出張に行くと、会計事務所や、保険会社の人に

 

食事をおごってもらったりする。

 

こういう年齢的、利害的な理由で奢り奢られる分には、

 

彼らも年を取れば年下にメシをおごるのだろうし、

 

会計事務所の人も飲食代は経費で落とすはずなので、

 

そこに貸し借りからくる罪悪感は発生しない。

 

 

しかし、仲の良い友人に何かをおごったり、

 

金銭を出す行為に対しては、今後はちょっと、

 

気を付ける必要があるな、と、最近思い始めた。

 

 

というのも、僕自身は、これまで、

 

友人に食事などをおごることに、全く抵抗がなかった。

 

むしろ、おごっている方が、割り勘なんかより、

 

気を使わずに好きなものを頼めるし、

 

そうやって〝適度に〟お金を手放すことで、

 

逆にどんどん豊かになることも体験しているので、

 

むしろおごる方が絶対にトクだ、という意識があった。

 

 

しかし、おごられる側の立場に立って見てると、

 

その瞬間、必ず相手の無意識の心の中に、

 

ある種の、後ろめたさや、無力感を生じさせてしまう。

 

ここで誤解を避けるために説明しておくと、

 

この場合の無意識の心の中というのは、

 

相手も気づいていない心の領域のことを言っている。

 

 

そして、この相手が持った一瞬のうしろめたさこそ、

 

おごる、という行為によって相手に投げつけた、

 

僕自身のうしろめたさ(運子ちゃん)だった、

 

ということに最近気づかされたのだった。

 

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まあ、相手が、

 

自分と同等か、それ以上の経済力のある友人であれば

 

別にどっちが出してもいいや、となるのだろうが、

 

相手の中に欠乏を見ながら金銭を出す関係性が、

 

本人が喜んでいるかどうかには関係なく、

 

実際にどういう影響を与えているか、を、

 

ちゃんと認識してゆくべきだな、と深く思った、

 

次第である。

 

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というわけで、やっと、古巣の香港へ戻ってきた。

 

フィリピンは揚げ物が多いので、

 

食事には注意していたが、それでも食べ過ぎた。

 

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最近、過去や未来をすべて兄貴に捧げてしまい、

 

今この瞬間に在る平安だけに集中しているせいか、

 

時間の感覚がヘンである。

 

先週、日本や上海に行ったのが、遠い昔のようだ。

 

時間が速く過ぎる、というのとも少し違い、

 

昨日のことでも、遠い昔みたいに感じられる。

 

不思議だ。