香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

不思議な村

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僕が小学生だった頃、ちょうど日本は超能力ブームで

 

スプーンを曲げる少年たちや、鉛筆を動かす少女が、

 

連日のようにテレビに登場していた。

 

そんな時、たまたまNHKで放映されていた

 

『不思議な村』というアメリカのテレビ映画を観て、

 

僕は天地が引っくり返るくらいの衝撃を受けた。

 

 

はるか昔、地球に不時着した宇宙人たちが、

 

人里離れた村で、ひっそりと暮らしている。

 

彼らはまた、空を飛んだり、モノを動かしたり、

 

テレパシーで会話できる超能力を持っていた。

 

そして、いつも自分たちの故郷の記憶を共有し合い、

 

いつか帰りたいと故郷の星に思いを馳せている。

 

しかし、外部の人間たちの迫害を恐れ、

 

彼らは自らの超能力を隠して暮らしていたが、

 

そこへ若い地球人の女性教師がやってきて…、

 

という物語だ。

 

 

このテレビ映画を観たとき、

 

懐かしさに胸を締めつけられる様な哀愁に襲われた。

 

それからというもの僕は、

 

この地球外から来た超能力を持つ人たちのように、

 

本当の自分は宇宙人で超能力者だ、と思いながら、

 

小学校生活を過ごした。

 

もう完全になりきっていて、

 

いつか宇宙船が自分を迎えに来てくれ、

 

本当の自分に戻れると、心の底から信じ切っていた。 

 

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そして、毎朝の〝聖なるバス通勤〟でいつものように

 

自分の内側へアクセスしていたときのことだ。

 

自分は、どんな奇跡でも起こせる、

 

無限の力と愛を持った完全無欠な存在だ、

 

という〝ガチな〟自覚が沸々と全身に漲ってきた。

 

それはまるで、自分が超能力を持つ宇宙人だ、

 

と信じていた小学生の頃の自分のように、

 

単純で純粋な確信に満ち溢れていた。

 

 

あの人にこんなことをされて傷ついた、とか、

 

お金が無くてこの先どうしよう、とか、

 

ちょっとしたことでイラッとしてしまう、とか、

 

俺は成功していてこんなにワクワクなんだぜ、とか、

 

自分という存在は、

 

そんな俗っぽくてちっぽけなものではない、

 

という確信だった。

 

 

もちろん、肉体を持ってこの夢の世界を生きている、

 

と思っている僕達は、自力で空は飛べないし、

 

イエスのように海の上を歩くこともできない。

 

( いや、できる。

 

  右足が水面に着く前に左足を出す、という動作を,

 

  高速で繰り返せばよいのだ。← by J  )

 

しかし、僕達は肉体ではないし、肉体を超越している。

 

 

もう、自分の生みの親が完璧で不可知な父であり、

 

自分はその子供なのだという事実に気づくだけで、

 

この夢から醒めてゆくには十分すぎる。

 

 

なので、うまく言葉で表現できないのだが、なにか、

 

もう、一切の幻想を真に受けない覚悟というか、

 

肉体を超越した存在である自覚を持ったまま生きる

 

というか、凛とした芯のようなものが僕の中に芽生え、

 

今後、揺るぎない生き方になってゆくような気がする。

 

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と、バスの中でここまで思い至った時、

 

冒頭で書いた、小学時代に観た映画の事を

 

〝ふっ〟と思い出した、というわけである。

 

いま思えば、あの頃の自分は、

 

真の自分のアイデンティティにふさわしい場所がある

 

と無意識に感じ取っていたのだと思う。

 

それが、たまたまテレビで観た映画によって、

 

意識の表層に浮かび上がってきたのだ。

 

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それにしても、あの頃のNHKって、

 

『謎の転校生』 『七瀬ふたたび』 『その町を消せ!』

 

などの少年SFシリーズをはじめ、僕達を現実世界から、

 

少しの間ワープさせてくれるような不思議系ドラマを、

 

次々に製作し、放映していた。

 

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この『不思議な村』 という映画、

 

故郷へ戻るまでに、全編を通して見てみたいものだ。